ECBECBは各国政府から独立した立場を守りつつ、どのような金融政策運営を行って、ギリシャを除くユーロ圏の重債務国の財政破綻を回避し、欧州債務危機を切り抜けたのか(写真はイメージです) Photo:123RF

 欧州では2008年のリーマン・ショックに追い打ちをかける形で、翌2009年秋以降、欧州債務危機が発生した。とりわけ、ギリシャは2012年中に2度にわたり国債の債務不履行を起こして財政破綻し、単一通貨ユーロもついに瓦解か、という崖っぷちにまで立たされた。欧州中央銀行(ECB)は、先進国の主要中央銀行の中で最も厳しい立場に置かれていたと言っても過言ではない。

 連載第4回は、ECBは各国政府から独立した立場を守りつつ、どのような金融政策運営を行って、ギリシャを除くユーロ圏の重債務国の財政破綻を何とか回避し、欧州債務危機を切り抜けていったのか、その背後ではいかなる意思決定の枠組みが機能していたのか、それは今の日銀とわが国の状況とはどう異なるのかをみてみよう。

ギリシャの財政指標粉飾が発端
危機はEUの大国イタリアにまで飛び火

 ギリシャでは、政権交代直後の2009年11月に突然、財政収支の名目GDP比の大幅下方改訂(▲3.7%→▲12.5%)が発表され、ギリシャの財政指標への信頼は完全に失墜した。これが欧州債務危機の発端である。

 さらに翌2010年2月には、ギリシャが2001年のユーロ圏加盟判断時に財政指標を粉飾していたことまで明らかになった。国内外からの財政運営の信認を完全に失ったギリシャは、その後たちまち財政運営に窮することになった。そして、わずか2カ月後の同年4月にはEUとIMF(国際通貨基金)に支援を仰ぐことになってしまったのである。

 だが、事はギリシャだけでは終わらなかった。債務危機はユーロ圏の他国にも飛び火し、アイルランド、ポルトガル、キプロスといった国々がEUなどに対して次々と支援要請をせざるを得ない事態に追い込まれた。

 この頃、欧州の国債流通市場の取引は極端に細り、危機の火の粉はイタリアなどにも及んでいた。投資家にとっては、いつ財政破綻するかわからない国の国債を誰も抱えたくはないゆえ、買い手がつかなくなってしまったのである。