コロナ禍を経て日本に中国人留学生が戻ってきたが、日本人学生の中国留学に対する考え方は消極的だ。現地での体験や対話を持たない学生が増えることは、日本の国際化を逆行させ、将来の日中関係を大きく後退させることにもつながりかねない。日本のZ世代が起こす中国離れは、日中関係の冷え込みや中国の水際対策だけでは語れない、“見えない壁”があった。(ジャーナリスト 姫田小夏)
かつては中国が2位の留学先だった
1972年9月、日本と中国は国交を正常化させた。今年はその50周年の節目に当たる年で、さまざまな団体が記念イベントを呼びかけている。
しかし、反応は鈍い。毎年のように日本の学生を中国に派遣してきた都内の交流団体は、今年オンライン交流を呼びかけたものの応募は伸びず、関係者は学生確保に奔走させられた。
一昔前、中国と言えば日本人学生の絶好の留学先だった。日本学生支援機構(以下JASSO)は毎年、留学目的地を上位10位まで公表しているが、2007年、中国はアメリカに次ぐ2位の目的地だった。
この頃、大西美里さんは日中の大学生の交流事業に参加し、中国に渡航した。冒頭で紹介した日中の青少年交流を手掛ける団体の前身となる活動に応じたものだ。
「当時は日中の学生31人が参加していて、日本人の参加者は25人にも上っていたと記憶しています」と大西さんは言う。
2000~2010年代にかけて、日中関係は蜜月にあった。当時の中国は、ビジネスや観光も盛り上がり、日本には“一大中国ブーム”が訪れていた。大東文化大学名誉教授の田中寛氏は「日本から中国への留学の黄金期は尖閣国有化が起こる前まで続き、中国側も交流事業に対して相当努力していました。日中の交流は1990~2000年代が最も健全で活発だったと思います」と語る。
十数年の歳月とともに、日中関係は大きく変わった。今の若い世代が社会の中心を担う頃には、日中関係はもっと冷ややかなものになっているかもしれない。