メンタルダウンした管理職に、企業はどう向き合い、本人はどうすればよいか

50代の「働かないおじさん」問題が取りざたされているなか、30代・40代の「働く管理職」のメンタルダウンが増えている。待遇に見合わない“責任の重さ”や同僚・若手社員の離職による“過重労働”など、その要因はさまざまだ。企業経営者や人事担当者は中間管理職のメンタルをどうケアし、心の病(やまい)にいかに対応していけばよいか――メンタルダウンの当事者であり、自らの経験から「心の病気に向き合うメソッド」を提唱する人事コンサルタントの佐々木貴則さん(ハートフルデイズ 代表)に話を聞いた。(ダイヤモンド社 人材開発編集部、撮影/菅沢健治)

予期せぬ就労環境の変化がもたらした心身の不調

 1977年生まれの佐々木さんは、東京の私立大学を卒業して、就職氷河期時代に就職活動を行った。いまから約四半世紀前の新卒採用だったが、現在でも学生の就職先企業のほとんどがそうであるように、人事部が佐々木さんの配属先と勤務地を決めた。

佐々木 大学を卒業して、ある食品メーカーの営業職に就きました。配属先となった仙台の職場で入社1年目は普通に仕事をしていたのですが、盛岡に出張所が新設されることになり、私と入社7年目の先輩社員が、青森・秋田・岩手県全域の営業担当になったのです。もともと、仙台の営業所には所長ほか6名ほどのメンバーがいたのですが、盛岡では先輩社員と私の2人だけ。しかも、移動の範囲が広いので泊まりがけの営業仕事が多く、先輩社員ともほとんど顔を合わせない毎日でした。

 市場(マーケット)開拓による就労環境の変化――結果、社会に出てまもない佐々木さんに、予期せぬ“心身の不調”が訪れたという。

佐々木 上司や同僚との対面でのコミュニケーションがほとんどなくなったうえ、先輩社員が1カ月ほど体調不良で入院し、そのカバーを私一人で行(おこな)ったことがメンタルダウンにつながったようです。先輩社員が復帰してホッとしたときに、張りつめていた糸が切れました。

 朝起きられない、お腹(なか)が痛い、微熱が続く、職場に向かえないといった症状で、大学病院に行ってみましたが、内科で検査しても「特に異常なし」という診断。当時は、ビジネスパーソンのメンタルダウンが現在ほど認知されていなかったのです。「場所を変えて、ちょっと休んでみようか」という会社の判断で、埼玉の実家に戻り、1カ月間休職しました。その後、関東の営業所での勤務となって、職場近くの寮生活で再スタートをきってみたものの、回復せず、会社を辞めることになりました。

 食品メーカーを退職した後、佐々木さんは1年半ほど仕事を休み、異なる業界に転職した。“心身の調子が戻った”という実感での選択だったが……。

佐々木 治ったように思っていただけで、本当はそうではなかったのです。新しい職場で疲弊していくうちに、隠れていたものが表面化してきました。ちょうどその頃、「心療内科」というものが世の中に増えてきて、会社からの勧めで受診してみると、「前職からずっと続いている症状ですね」とお医者さんに言われ、「躁うつ病」と診断されたのです。

「現在も薬を服用し続けている当事者です」と、包み隠さずに語る佐々木さんは、「企業のメンタル問題を解決したい」という思いで起業し、採用活動と社員研修の支援やメンタルヘルスケア提案を行う人事コンサルタント会社・ハートフルデイズを運営している。

佐々木 2つめの会社を退職してからハートフルデイズを設立するまではしばらくのブランク期間がありました。うつの状態で引きこもり、その後、障がい者雇用で時給800円程度の軽作業をしていたときに、将来に大きな不安を感じました。そうして、「いまの自分に何ができるだろう?」と考え、前職で培った人材育成といった人事関連の仕事が頭に浮かび、メンタルダウンの当事者という私自身の個性と組み合わせて何かできないか、と考えたのです。「1、2カ月やってみて、ダメだったらしかたない」という思いでしたが、おかげさまで、この仕事を10年近く続けています。

佐々木貴則

佐々木貴則 TakanoriSASAKI

ハートフルデイズ 代表

1977年、埼玉県生まれ。2014年、ハートフルデイズ創業。大学卒業後、食品メーカーの営業担当として東北の盛岡事業所設立など、多方面で活躍するも、過度な勤務により、双極性障害を罹患して退職。リハビリを経て、大手人事コンサル会社マネージメントサービスセンターに転職。その後、症状悪化によって、7年間の苦しい闘病生活を送る。症状改善と家族の支えがあって、2014年に、人材開発と社員のメンタル対策の研修企画・講師派遣を行うハートフルデイズを設立し、現在に至る。