ChatGPTが人間とAIの役割を反転させる?「科学は望遠鏡のようなもの」理論物理学者と文筆家が科学夜話Photo : Marco Bottigelli/gettyimages

文系でも楽しめる、文系こそ楽しめる――。ジャンル横断的科学エッセイ『銀河の片隅で科学夜話』が、「八重洲本大賞」大賞や「寺田寅彦記念賞」を受賞するなど、大きく話題となった理論物理学者の全卓樹氏。このたび、エッセイ第2弾となる『渡り鳥たちが語る科学夜話』の刊行を記念したトークイベントが、代官山 蔦屋書店にて開催された。対談相手は、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」がモットーのノンフィクション作家・高野秀行氏。マルチバース、文系と理系の思考回路の違い、数や貨幣の出現、サイエンスの本質、科学から見て「クリエイティビティ」とは何か? ChatGPTの正体、人類のルーツ、探検とコスパ等、まさにジャンル横断的の科学夜話が繰り広げられた。(構成・文:ダイヤモンド社編集委員 長谷川幸光)

宇宙は無限、原子核が有限なら
マルチバースは存在するだろう

高野 この本を読んですごく壮大だなと思ったのは、宇宙が4つあるというマルチバースの物語です。

全先生全卓樹(ぜん・たくじゅ)
京都生まれの東京育ち、米国ワシントンが第3の故郷。東京大学理学部物理学科卒、東京大学理学系大学院物理学専攻博士課程修了、博士論文は原子核反応の微視的理論についての研究。専攻は量子力学、数理物理学、社会物理学。量子グラフ理論本舗/新奇量子ホロノミ理論本家。ミシガン州立大、ジョージア大、メリランド大、法政大等を経て、現在、高知工科大学理論物理学教授、高知工科大学図書館長。著書に『エキゾティックな量子――不可思議だけど意外に近しい量子のお話』(東京大学出版会)、『銀河の片隅で科学夜話』『渡り鳥たちが語る科学夜話』 (ともに朝日出版社)など

 最新の天文学を通り越した形而上学的な話ですが、そのように想定することもできるんです。

 我々が見える宇宙には光のスピードがあります。宇宙は生まれて140億年ぐらいたっていますが、光のスピードで伝わってくる140億光年以上先に何があるかは、誰も見ることができない。そのため情報がない。ですので、想像するしかないんです。

 まず、140億光年以上先に突然、宇宙がなくなっているというのは、まったくないとはいえませんが、不自然ですよね。

 例えばサーチライトで暗闇を照らしてみる。その光が及ばない範囲にも世界は続いて、どこかに人がいる。

 逆に、光が及ばない範囲がいきなり空虚、無になっているとすれば、そのほうが不自然です。

 そう考えると、検証はできないのですが、見えない先にも、我々の世界と同じものがある。そのように想定することができます。

 宇宙物理学者の須藤靖(東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授)という友人がいるのですが、彼は、パッと考えて不自然なことは宇宙では起こらない、と言うんですね。どういう根拠でそう思うのかと尋ねると、「いや、それは私の確信なんだ」と(笑)。

高野 直感なんですね(笑)。

 最後は直感なんですよね。ただ、「このあたりは暑いけれど、向こうへ行ったら寒かった」というように、遠くへ行けば行くほど、こことは違った世界になっている可能性はある。そのように考える学者もいます。宇宙の先に関してはいろいろな説があって、それはもう研究とか天文学とは、はっきり言って言えない。検証できませんから。哲学の世界です。そこがおもしろいですよね。

高野さん高野秀行(たかの・ひでゆき)
ノンノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。ポリシーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞等を受賞。著書に『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)、『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)など多数。共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社文庫)など

高野 この本によると、ある講演会で須藤先生がその話をしたところ、出席していた量子力学の谷村先生は「こんなものは科学ではない、認められない」と怪訝そうな顔になってしまった。

 すると、須藤先生が数字で示すんですよね。宇宙を構成する原子核の大きさとそれをどれだけ宇宙に詰め込めるのかを、数字で持って解説する。これもまたすごい話で、わかるようなわからないような話ですが、数字で説明されると、量子力学の先生の表情もおだやかになったという。

 世の中のあらゆるものは原子核でできています。原子核というのはものすごい数の個数があれど、基本的には有限です。我々の世界は、有限のものが動いて、有限のもので構成されている。

 宇宙が無限といっても、原子核を置く場所には限りがある。あらゆる起き方の組み合わせを試していくと、必然的に組み合わせ方は尽きてしまう。すると、無限の宇宙の中でどこかで同じ組み合わせのものが生まれる。

 例えば、ジグソーパズルをあらゆる組み合わせでやり尽くしたとして、ものすごくパターンはあったとしても、枠が限られているので、いつかは最初と同じ組み合わせになりますよね。

 どれだけ遠くへ行っても、どこかで同じものが再現されている。それが論理的結論だと。これはもともとはテグマーク(マックス・エリック・テグマーク/マサチューセッツ工科大学教授。スウェーデン出身の理論物理学者)が言い出したことでもあります。

 そう考えると、140億光年先、それこそ、何十兆年や何京光年先には、我々と同じような宇宙がいくつもあって、こうして話していると、向こうも合わせ鏡のように話しているのではないかと。宇宙は無限で原子核が有限なら、そうならざるを得ない。

 考えられないほど大きな数なんですけれど、我々のような理系の学者は、数字を信じているので、数字で示されて、それに対して反論するすべがないと、「うん、そうかあ」とならざるを得ないんです(笑)。

高野 そうなると、科学の議論になってくるわけですね。

 「宇宙は無限に続いていて、どこもかしこも我々と同じ法則ならば」と仮定を置いたらですけれどね。心では納得してないけれど、計算上はそうだね、と(笑)。

高野 僕は根っからの文系人間なので、そういう話を聞くと、ある意味、カルチャーショックというか、理系の文化を垣間見たようで、おもしろいんですよね。なるほど、理系の人は数字が出てくると納得するのか、そうした思考回路なのか、と。

 文系の人は逆に、数字を出されても積極力が増すというわけではないんですか?