身体的、精神的、社会的に満たされている状態のことを指す「ウェルビーイング」が今、世界的に重要な経営アジェンダとなっている。SDGsの17目標の中の1つとして「すべての人に健康と福祉を」が掲げられたことや、幸福学についての長年にわたる研究の成果が結実し始めたことなどいくつかの要因が重なり、社会的注目の高まりから経営における重要事項へと、ウェルビーイングの潮流が広がっているのだ。PwCコンサルティングは実態を精査すべく、今年3月「世界働き手実態・幸福度調査2023」を実施した。この結果を踏まえて本連載では5回にわたって、ウェルビーイングに関する経営動向と取り組むべき施策について詳述していく。第4回は、全業界で重要度が増す「従業員向けウェルビーイング」を論じる。
2023年の最重要テーマ「人的資本の情報開示」とウェルビーイング
前回の第3回では、消費者向けウェルビーイングの有用性やアプローチについて、ヘルスケア業界やファンマーケティングといったテーマを題材に解説した。今回は、第2回で示した「ウェルビーイングを経営に組み込むための五つの要諦」のうちの「ウェルビーイングを自社内で体現する」に該当する従業員ウェルビーイングに焦点を当てて、いかに競争優位につなげるかを論じたい。
この従業員ウェルビーイングは消費者向けとは異なり、すべての業界において必要不可欠な取り組みである。そのため、ウェルビーイングという言葉とは縁遠そうな業界にいる読者の皆さまにも何か得られるものがあるはずだ。
昨今、人的資本の情報開示が義務化され、後手に回る企業と、奇貨ととらえて積極的な開示を行う企業とに二極化されつつあるが、従業員のウェルビーイング向上は幸福度を切り口に定量化でき、経済価値と社会価値のトレードオンを実現できるという特性から、人的資本投資の一部として自社の価値を高める重要な要素になりうる。こうした前提を踏まえ、今回はPwCコンサルティングが提唱する従業員ウェルビーイングに取り組むうえで押さえておくべき三つのポイントを解説する。これらのポイントを押さえることで、多義的で、多様で、とらえどころのない概念であるウェルビーイングをうまく経営に取り入れ、打ち手にまでつなげることができるようになるはずだ。併せて、従業員幸福度調査を題材としたPwCコンサルティングの事例を紹介することで、具体的な取り組みのイメージを提供したい。
また、前回解説した消費者向けウェルビーイングトランスフォーメーション(WX)と比較して、初手として取り組みやすい従業員向けWXの有効性にも触れつつ、見掛け倒しの取り組みではレピュテーション(評判)リスクを招きかねないこと、そしてオーセンティックな活動として取り組む必要があることにも言及する。
2022年には、一橋大学CFO教育研究センター長の伊藤邦雄氏が座長を務める「人的資本経営の実現に向けた検討会」(経済産業省)が取りまとめた報告書である「人材版伊藤レポート2.0」が発刊された。また、「人的資本可視化指針」も策定されるなど、まさに人的資本投資元年ともいえる年であった。
そして、2023年3月以降に発行する有価証券報告書では、人的資本関連情報の開示が義務化された。人的資本投資/情報開示に対する関心は高まるばかりだが、現状の人的資本の情報開示は、“とりあえず出せる情報を出す”という、体操競技に例えると自由演技的様相を呈しているのが実情だ。
中長期的には、人的資本を含む非財務指標と財務指標の関連性を可視化し、経済価値と社会価値のトレードオンを追求・開示すること、つまり、開示内容の質が求められていくようになるが、この文脈においてもウェルビーイングは重要な役割を果たす。人的資本開示においては、比較可能性に対する要請が強い指標と、自社のビジネスモデル・戦略に照らして独自性のある指標の二つの情報開示が求められているからだ。
本連載の第1回で言及した通り、先行研究に基づく幸福度を切り口に定量化でき、生産性/創造性向上などの経済価値、従業員の幸福度向上、その先の社会貢献活動の誘発等を通じた社会価値をも創出できるという特性を持つウェルビーイングは、使い方次第ではあるが、まさに両面の顔を兼ね備えている。ただし、ウェルビーイングは多義的で、多様で、とらえどころのない概念であり、個人によって価値観に差もあれば解釈にも幅があるため、経営や人事のテーマとして取り扱いが難しい側面もあった。