イスラエルとイスラム教スンナ派武装組織ハマスの武力衝突。一時的な休戦にとどまらず、本格的な停戦は実現できるのか。元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏がイスラエルとハマスの歴史を振り返り、双方の内在的論理を解き明かす。(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優、構成/石井謙一郎)
蜜月の時期もあった
パレスチナとイスラエル
イスラム教スンナ派武装組織ハマスが、イスラエルに大規模な奇襲を仕掛けてから1カ月以上。双方はなぜこれほど憎み合い、民間人の犠牲まで出しても戦うのか。ここに至る経緯を知らなければ、内在的論理は見えてきません。
歴史を振り返ると、もともとパレスチナにはローマ帝国に迫害された後も、一部のユダヤ人は残り、多数派のアラブ人とともに暮らしていました。1880年代以降、欧州各地でユダヤ人の迫害が強まると、多くのユダヤ人が移って来た。第一次世界大戦でパレスチナを支配していたオスマン帝国が敗れると、英国がパレスチナを支配するようになります。
1947年に国際連合はパレスチナの地を二つに分け、ユダヤ人とパレスチナ人の国をつくらせる決議を採択しました。しかしパレスチナ人は土地を奪われることに反発し、国連決議を拒否。翌48年に英国が撤退し、イスラエルが建国を宣言すると、これを認めない周辺のアラブ諸国が攻め込みます。この第1次中東戦争で勝ったのはイスラエル。イスラエルの国土となった土地に住んでいたパレスチナ人は、難民となりました。
中東戦争は4次に及び、93年のオスロ合意を基に、ガザとヨルダン川西岸にパレスチナ人の自治区ができました。この頃は将来、お互いを国家として認めようという、蜜月の時期でもありました。パレスチナ解放機構のアラファト議長(1929~2004年)は「イスラエルと共存するパレスチナ国家の樹立」を主導していた。当時はガザ地区とイスラエルの間も自由に行き来できました。
しかし、ハマスがガザを実効支配するようになって関係は悪化します。