米エヌビディアが自社工場を建設しなくてすんだのは幸いだ。起業の段階で、自社工場に必要な資金を調達するのはおそらく不可能だっただろう――。半導体を巡る国家間の攻防を描き、週刊東洋経済の「ベスト経済書・経営書2023」にも選ばれたクリス・ミラー著『半導体戦争』では、半導体のビジネスモデルを変革した台湾TSMCの影響力を浮き彫りにしている。特集『半導体戦争 公式要約版』(全15回)の#12では、半導体のファブレス革命がエヌビディアやクアルコム、アップルなどの米大手テック企業にどんな恩恵をもたらしたのかに迫る。
サンホセのデニーズで産声を上げた
グラフィック・チップ市場の支配者
1980年代終盤以降、工場を持たないファブレス半導体メーカーの数は爆発的に急増してきた。半導体の設計は自社で行なうが、その製造は主に台湾TSMCなどの企業に外部委託するという手法だ。
1984年、ゴードン・キャンベルとダド・バナタオが史上初のファブレス企業として広く考えられているチップス・アンド・テクノロジーズを創設したとき、自社で半導体を製造しないなんて「真の半導体メーカーとはいえない」と友人から言われたという。
しかし、同社の設計するPC向けグラフィック・チップは人気を博し、一部の業界最大手の製品と競合するようになる。結局、同社は失速し、インテルに買収されたものの、工場を持たないファブレス・ビジネスモデルが機能しうることを証明した。必要なのは、優れたアイデアと、巨額の工場建設費と比べれば取るに足らない数百万ドルの開業資金だけだった。
そんななか、やがてグラフィック・チップ市場を支配することになる企業が現われる。その企業、エヌビディアは、パロアルトのおしゃれなコーヒーハウスではなく、サンホセの物騒な界隈にあるデニーズでささやかな産声を上げた。
エヌビディアは、クリス・マラコウスキー、カーティス・プリエム、そして今なおCEOに君臨するジェンスン・ファン(黄仁勳)によって、1993年に創設された。台湾で生まれ、幼くしてアメリカのケンタッキー州に移住したファンは、シリコンバレーのLSIという半導体メーカーで働いた。彼はエヌビディアのCEO、そして“顔”となり、常に暗色のジーンズ、黒のシャツ、黒革のジャケットを着て、まるでコンピューティングの未来を見通していると言わんばかりの、スティーブ・ジョブズのようなオーラを放っている。
エヌビディアの最初の顧客であるビデオ・ゲームやコンピュータ・ゲームのメーカーは、時代の最先端を行っているようには見えなかったが、それでも同社は、複雑な3次元画像の生成にこそグラフィックスの未来がある、と予測した。