「キャラ」を脱げず、「罪悪感」を抱いている

「日本人はもっと怒っていい」イタリア人精神科医が危惧する息苦しさの正体パントー・フランチェスコ氏 写真提供:本人

――本音と建前を使い分けたり、距離感に気を付けるということを、私たちは意識することもあれば、無意識的に行っていることも多いように思います。そういった日本のコミュニケーションの特殊性は、精神性にどのような影響を及ぼしているのでしょう。

 日本人のみなさんは、他者のパーソナルスペースを侵略することは迷惑になる、と過剰なほどの恐怖を感じているのではないでしょうか。僕はこの恐怖心のことをあえて強めの表現で「迷惑ノイローゼ」と命名しています。

 迷惑ノイローゼとは、それほどリスクはないのに、自分のせいで他者に不愉快な思いをさせるのでは……と過剰に心配をすること。このとらわれにより、他者と関わりを持ちたいと思っても言葉や態度に出すことをためらい、結局関わらないままにしてしまう。日常的にいろいろな感情を抑えすぎることによって、孤独感を強くしている人が多いのではと思います。

 臨床で精神的なトラブルに直面している人と接すると、他者に気を遣いすぎ、調子が悪くなっているのに助けを求めることができず、沈黙の叫びを内側に溜め込んでいます。「迷惑ノイローゼ」は「助けて」と素直に言えない心理状態を作りだしていると思います。

――診察に訪れる人はどのような心の状態になっているのですか。さらに具体的に教えてください。

 診療をしていて圧倒的に多い症状は、特定の環境においてストレスを過剰に感じ、不安や抑うつ状態になっている「適応障害」です。彼らのストレスの原点には「キャラ化」があります。まるでコスチュームを身につけているように、真面目系、元気系、といったそれぞれのキャラを演じていて、そこから外れることができない。

 そのキャラを脱いでしまうと自分のアイデンティティが根底から覆される、と恐れています。人間の内側にはいろいろな人格があって当たり前だし、「助けてほしい」「愛されたい」「認められたい」といった感情は人間として普遍的なもののはずなのに、自ら設定した特定のキャラにこだわり、感情を押し殺してしまう。痛み、吐き気、しびれ、倦怠感などの体の症状もよく見られます。

 もう一つは、「罪悪感」です。僕の実感として、クリニックを受診する人のうち9割以上の方が、「仕事や家庭で期待されていることに自分は応えられていない」と罪悪感を抱いています。

 うまくやれていないのは自分に不備があるからで、もっと頑張らないと認めてもらえない、と頑なに感じている。そこにも日本の本音と建前の文化が色濃く影響していて、「自分の本心」と「社会的に良いとされる言動」をはっきり分けて考えてしまうのです。

 本音と建前を分け、社会が求めるキャラだけを演じようとすることは、日本人の協調性を支えている美しい部分でもある反面、悪い方に働くと自分の思いを殺し、心を壊す要因となります。

――職場や家庭で期待されている自分を演じなければいけない、と頑張っていたけれどもう無理……となってしまった人に対して、パントー先生はどのように話をするのですか。

 精神科医は、何よりも目の前の人の健康を取り戻すのが仕事です。本人は「会社の人に迷惑をかけてはいけない」と会社のことを重視していても、僕にとってそんなことは関係ありません。

 なによりも本人軸で考えること。「どうすればあなた自身が安心できるか、楽になるかについて考えましょう」と伝えます。繰り返しお話するうち、自分は間違っていなかったんだ、と気づいたり、辛かった自分を振り返り、涙を流してすっきりされる方もいます。そうして自分軸を取り戻した上で、自分の体調について職場と相談する、会社を休む、というふうに前進していきます。患者さんの笑顔を見ることができると、本当にうれしいですね。