三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第58回は、日本が誇るべき「無形資産」について論じる。
低所得層で偏りがちな食事
バイオ企業への投資を模索する主人公・財前孝史と投資部の月浜蓮は、ミドリムシを培養して食品や燃料に活用するユーグレナに行きつく。同社のトップは財前たちとの会話で、世界の食糧問題を解決したいとの思いが起業のきっかけだったと明かす。
人口減少や政府債務の累増など世界屈指の課題大国・日本は、世界屈指の「資産」を持つ国でもある。多様な国土の美しさ、治安の良さ、整ったインフラなどと並んで、ヘルシーで美味しい日本食も真っ先に挙げられる特色だろう。
一方、日本の食文化が海外からも注目されるなかでも、国民全員の食と栄養に関する知識と意識の高さという無形資産は、普段はあまり目が向けられていないように思う。
作中でも指摘されるように、新興国に限らず、先進国でも所得階層が低い層ほど炭水化物や脂っこいものに食事は偏りがちだ。貧困が問題ではあるが、実はそうした状況は新興国の所得水準が上がってもなかなか解消しない。
実際、この20年で経済成長によって所得が大きく高まったマレーシアやインドネシア、フィリピンなどの東南アジア諸国では、「飽食」による糖尿病の増加が保健衛生上の大きな懸念になっている。
経済的に豊かになっても、食習慣はあまり変わらないものなのだ。栄養バランスに意識が向かわず、慣れ親しんだ摂取カロリー重視のメニューがお腹いっぱいに食べられるようになると、糖尿病が増えてしまう。
世界に冠たる学校給食
その点、日本人は、ちょっと神経質なほど「バランスの良い食事」へのこだわりが強い。最近でも「完全食」「完全メシ」が話題になっているが、これもいかにも日本的なヒット商品だ。
日本の小中学校に通った方なら、廊下や保健室に張り出されていた「赤」「黄」「緑」の食品分類のポスターを覚えているだろう。これに白と黒を加えて「1日に『5色』を取ろう」と唱える、中国の五行思想に由来する考え方もある。
単なる食卓の彩りではなく、炭水化物、タンパク質、野菜、ビタミン類をバランスよく摂取する効用について、私たちはそれなりの知識を持っている。居酒屋であれこれ注文する時、偏りがあれば誰かが「野菜もとらなきゃ」と言い出すのは見慣れた光景だろう。
日本に住んでいるとごく普通のことに思えるが、これは非常に貴重な文化的資産だ。海外でランチを簡単に済ませようとすると、「3色」のバランスを保つのはとても難しい。日本の学校給食やお弁当のクオリティの高さは海外で生活してみるとよく分かる。
ロンドン駐在時代、お弁当がない子どもに学校で提供するランチは、具が少なめのサンドイッチと野菜代わりにフライドポテトを組み合わせたメニューが多かった。ロンドン中心街のオフィス近くの屋台で買うランチボックスも、大半は炭水化物と肉、揚げ物てんこ盛りのラインナップ。私は露店で買うフルーツだけでお昼を済ませることも多かった。
国民皆保険と高齢化で社会保障費が膨らみ、それは日本経済の重荷になっている。だが、もし国民の「食のリテラシー」が低かったら、医療費の負担が今以上に膨らむか、国民全体のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が一段と劣化していただろう。一朝一夕では築けない貴重な無形資産を教育を通じて確立したことを、日本人はもっと誇ってよいと思う。