三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第59回は大企業の転落劇から「堀の深さ」の大切さを学ぶ。
逆転劇の裏にある「量」と「質」
バイオ分野での海外勢との競争について、ユーグレナの経営トップは「2周差」をつけることが必勝法だと説く。1周差程度なら資金と人員をつぎ込めば追いつけるが、大きくリードされると合理的な競争相手ほど追うのをあきらめるという。
先行者利益を生かして「2周差」をつけろ、という視点は面白い。ただ、現実には十分な差をつけたつもりでも、いつの間にか差を詰められ、追いつかれてしまうケースは少なくない。そんな逆転劇には「量」と「質」の2つのパターンがある。
量の勝負に敗れた典型例は、かつての日本の半導体ビジネスだ。1980~90年代に世界最強を誇った日本勢は、研究開発と設備投資の両面において投入資金の「量」で遅れを取り、米国大手や韓国、台湾などアジア勢の後塵を拝することになった。
1990年代半ば、駆け出しの記者だった私は日本の大手電機の経営データを分析して「これは生きるか死ぬかの戦いだ」と息を呑んだ。
大きなシェアを握る半導体事業は巨額の利益を生んでいた。だが、競争力維持のため研究開発と設備投資に湯水のようにカネは消えていく。稼いでも稼いでも、キャッシュフローはいつまでも自分のモノにならない。脱落せず、最後まで立っていた者(Last Man Standing)が圧倒的シェアを握る世界がそこにはあった。
「質」でゲームがひっくり返ったのが携帯電話の世界。ノキアのトップが残した「何もミスしていないのに、なぜか負けた」という言葉が象徴するように、スマートフォンの登場で「2周差」をつけていたはずの王者はあっという間に転落した。独走のつもりがライバルはまったく別のトラックで新しいレースを始めていたわけだ。
ゲームを左右する「堀の深さ」とは何か?
トラック競技のようにライバルを振り落とすのは容易ではない。そんなスピード競争とは別の角度から競争力をはかる視点が「堀の深さ」だ。
経済の堀(Economic Moat)は、投資家のウォーレン・バフェット氏が株主向けの手紙で好んで使う言葉として知られる。城を守る堀のように、競争相手からビジネスを守る参入障壁を指す。
典型例は、特許やブランドなどの無形資産、消費者が商品やサービスを乗り換えるスイッチングコスト、SNSのように利用者の多さ自体が利便性を生むネットワーク効果などだ。圧倒的な低コスト運営や、公益事業など事実上の寡占ビジネスも「堀」の一種とされる。
無論、こうした経済の堀を築くためには、どこかの局面でライバルとの競争を勝ち抜く必要はある。問題はその先だ。トラック競技のようにスピード勝負に持ち込むだけではなく、陣地を固めて城を築き、戦う前に相手があきらめるようなマーケットを確立してしまう発想が「堀」の深さと広さを決める。
そうした戦略に長けたネットのプラットフォーマーや海外の高級ブランドに比べ、日本企業は「良いモノ、良いサービス」で勝負しようという考え方がなお強い。個人的には、その意気や良し、とは思う。ただ、バフェット氏が強調するように、投資対象として企業を見れば、「堀の深さと広さ」は抜群の安定感をもたらす。