三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第69回は「若い時の苦労」について、昭和世代のホンネを綴る。
ホリエモンの「無茶ブリ」の意味
『インベスターZ』に登場したホリエモンこと堀江貴文氏は、不老不死ビジネスを目指す中川に対して、2日弱で東京から札幌までヒッチハイクでたどり着くことを出資の条件に挙げる。ごまかして空路を使うか迷った末、中川は正攻法で難題に挑むと決意する。
作中で中川が命じられるヒッチハイクはなかなか無茶な注文だ。「なぜ」と言う当然の疑問にも「やってみればわかるよ」としか説明はない。
理不尽極まる要求だが、社会人として仕事をしていれば、似たようなシチュエーションに遭遇することはある。そして、そんな無理難題をこなすなかで、職業人として一皮むける経験をした人は少なくないのではないか。
「昭和」と言われるのを承知で本音を書けば、最近のコンプライアンスとポリティカル・コレクトネス全盛の時代にあって、若い世代の人たちはそうした「理不尽な成長機会」を得るチャンスが減っているように感じる。
私は1995年に新聞記者になった。もう平成の世になって7年経っていたが、新聞社の体質は古く、社員教育は「昭和」そのものだった。ろくに研修もなく入社2週間ほどで現場に放り込まれ、先輩記者の指導も今の基準なら完全にパワハラ認定必至の厳しさだった。
もっとも、それは新人いじめのような陰湿なものではなかった。むしろ感じたのは「お前もプロなら給料分プラスアルファ働け」という健全なプレッシャーだった。
「取材が甘い」と日々詰められ、何度も原稿を書き直し、徹夜や休日出勤も当たり前。漆黒のブラック勤務は2年ほど続いた。28年の記者生活で一番きつかったが、ここで自分の土台ができた。
余計な苦労は避けるべき。だが…
その後、新聞社の体質も変わり、いまや新人記者が置かれる状況は格段にホワイト化した。労働時間は適正化が進み、指導にあたってもパワハラなんてとんでもないという時代になった。記者という仕事柄、超絶ホワイトとはいかないが、体質改善が進んだのは間違いない。
それ自体は悪いことではない。駆け出し時代の苦労をもう一度味わいたいかと言われれば、正直お断りしたい。若い頃の苦労は買ってでも、なんていうのは苦労させたい側の言い分で、できるだけ余計な苦労は避けた方がいいに決まっている。
だが、一方で、自分が今のような「やさしい」新人教育を受けていたら、一人前になるにはもっと時間がかかっただろうとも思う。それは取材や記事執筆といった技術的なことにとどまらない。むしろ心構えや腹の据わり方といった精神面が大きいかもしれない。
実社会は複雑で、理論やスマートなやり方だけで乗り切れるほど甘くはない。理不尽な目に遭った時、そこで心が折れてしまうか、それを成長機会とできるかの違いは決定的なものになり得る。
成長機会の供給側、部下を指導する立場で考えれば、厳しい指導はパワハラ認定や若手の離職につながりかねないリスキーな行為になっている。そんな時代に、きっちりと、時に理不尽に思えるほど踏み込んで教育してくれる上司に出会えたなら、あなたは恵まれているのかもしれない。
「やってみればわかる」類いの経験が、世の中にはある。無論、ただの理不尽なパワハラなら、出るところに出ればいい。