難波・唐澤・飯泉各氏
教育の現場でどのように「探究」的な活動に取り組んできたか、当事者の3人の先生がそのプロセスを語る Photo by Kuniko Hirano

教員はいつ「探究」と出合ったのか

――東京女子学園での「探究活動」については、皆さんの共著『信じることから始まる探究活動のすすめ』の中でも触れられていますが、まずは「探究活動」との出合いからうかがいましょう。

難波俊樹
難波俊樹(なんば・としき)
東京富士大学経営学部准教授。東京工業大学大学院社会理工学研究科修士課程修了後、出版社勤務。東京女子学園中学校・高等学校(*1)先端学習部部長を経て現職。麹町学園女子中学校高等学区探究顧問。日本アクティブ・ラーニング学会理事、探究オリンピック委員会事務局なども担う。 Photo by Kuniko Hirano

飯泉 私は10年以上理科を中心に授業を行ってきましたが、「アクティブ・ラーニング」が話題になった頃から、今でいう「探究」的な活動に取り組み始めました。最初は教科横断型授業から始まり、生徒が自分で決めた興味あるテーマについて、1年間かけて2500字程度(中学生)の小論文を書くようになりました。河添校長と難波さんが来られて「総合的な探究の時間」を「DSDA」(*2)と呼ぶようになり、取り組み方も変わりました。

難波 サラリーマンをしながら、10年ほど非常勤講師も務めていましたが、2020年に河添先生が東京女子学園の校長となり、STEAM教育に力を入れていくということで誘われました。学びとは本来「探究」的なものではないかと考えていたので、本質的な学びに携わる機会があるならその場に参画したいと思いました。

唐澤 私は普通科も商業科もある社会の縮図のようなマンモス校に30年ほどいましたが、細かくコース制が敷かれた人気校でもあり、生徒募集は堅調でした。最後に受け持ったのは特進選抜クラスでしたが、受験のためだけの授業はもう嫌だなと思い、アクティブ・ラーニングの授業を行ったところ、保護者から「そういうやり方を否定はしないが、受験指導をしっかりやってほしい」と言われ、心が折れそうになりこちらに参りました。

飯泉 私も大学を出て初任は進学校でした。難関大に合格させるための授業をすることがだんだん面白くなくなり、生徒の「分かった」「できた」という喜びを一緒に感じたいと思うようになりました。

――進学校で大学受験のための授業にやりがいを感じなくなってきた、もっと本質的な生徒の学びに寄り添いたいという点が皆さんに共通していますね。

飯泉恵梨子
飯泉恵梨子(いいずみ・えりこ)   麹町学園女子中学校高等学校教諭(理科)。大学卒業後、中高一貫進学校に入るものの、入試対策主体の教育に違和感を覚え、東京女子学園中学校・高等学校(*1)に。探究科(DSDA)を担当。 Photo by Kuniko Hirano

唐澤 私が移ってきた頃の東京女子学園は、「読む」「書く」のみならず、「話す」「聞く」を含めた英語の四技能の教育に熱心で、LL教室など施設も立派でしたが、偏差値的には港区内の私立校で独り負けのような状態でした。

飯泉 それでも、生徒の学びたいことを考え、偏差値だけでなく生徒が入りたい大学に進みましょうという雰囲気の進学指導が行われていました。

難波 私も進学校に関わり、進学校の教育を見たことで、改めて子どもの教育のゴール地点を18歳に設定するような、受験対策を主眼とした教育には携わりたくないと考えるようになりました。

――なんでそういう受験指導に熱心な進学校では、「探究」的な授業がやりづらくなるのでしょうか。

唐澤 「探究」的な授業は一人ひとりのやりたいことに合わせるため、対応できる生徒の数が限られてしまう面があります。

*1 芝国際中学・高校の開校(2023年4月)に伴い、現在、東京女子学園中学・高校は新入生の募集は行っていない
*2「Data Science, Design and Arts」の略。2020年、東京女子学園に着任した河添校長(当時)と難波氏を中心に策定された「脱偏差値」「データサイエンス教育に基づく分離融合」「ジェンダーギャップを解消できる女性の育成」を柱とする教育カリキュラム