お金持ちの家に生まれ育ち、大学を卒業して間もなく結婚。3人の子どもを授かるも離婚した。実家に出戻ったものの、父親の会社が倒産し、49歳で住む家を失ったついには預金通帳の残高がほぼ0円に……それまでとはうって変わって赤貧生活に陥り、裸一貫で整体院で働くようになった。自分の力で人生を切り拓いてきたとき、今度は末期寸前のがんを患うことに。そんな波乱の人生を乗り越えて「今がいちばん幸せ!」と断言する『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)の著者が、毎朝起きるの楽しくなるライフスタイルを【人間関係】【食事】【睡眠】【健康】【メンタル】【ファッション】【インテリア】【パソコン】とテーマごとに紹介する。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【71歳ひとり暮らし】無意識の「過去への執着」を克服する1つの方法写真:川瀬典子

写真を整理してみた

突如生まれた「暇な時間」。最初にとりかかったのは、写真の整理です。写真というのは、すなわち「過去の自分」ですよね。

私は執着心がさほど強くなく、特にイヤなことは忘れるようにしてきたので、自分には苦い過去の思い出などないと思い込んでいました。

だから、写真にもさほどの思い入れはないつもりでした。

無意識の過去への執着

7年前に今の団地に引っ越してきたとき、大量の写真を処分しています。ところがいざとりかかってみると、思いのほかたくさんの写真を手元に残していることに気づきました。

やはり自分で思っているほど簡単に、過去への執着はなくせるものではないのだなと感じました。

それと同時に、これから本当に前を向いて生きていきたいのであれば、私の人生において大転換点になるであろうこの時期に、バッサリと処分すべきではないかとも感じたのです。

なんとなく大事に
しまっておいた写真

昔の写真を見ているとき、心は当時にタイムスリップしますよね。写真に写っている私は、一見するといつも幸せそうに笑っています。

でも実は、写真を撮るから一応笑顔をつくってみただけ。その直前に誰かに何か言われてちょっと傷ついたんだっけ、などと思い出してしまうことはありませんか?

私自身は、わりとそう感じる写真が多かったです。

家族全員がそろった記念写真だから、数年に1度の同窓会で会った人たちと撮った写真だから、といった理由で、自分の感情はさておき後生大事にしまっておいたのです。

中途半端に
楽しげな写真

また数ある写真の中には、なんの感情も湧かないものもありました。

楽しかったかと聞かれれば、楽しかったかもしれないけれど、あの程度の楽しさなら今でもしょっちゅう経験しているわ、みたいな。

そんな写真をとっておくことにあまり意味はないように感じられたので、処分の対象にしました。

写真の数を
劇的に減らした

申し訳ないのですが、誰かの結婚式のスナップ写真などは、その典型だと感じます。とにかく数が多い。しかも似たようなアングル、似たような人ばかりが写っているんです。

さらには旅先の風景写真。「せっかく来たんだから撮っておかないと」と思って撮影したそれらは、今見ると別に面白くもなく、ましてや芸術的でもなく、この先も保管しておく必然性がまったく感じられません。

そこで整理をした結果、写真の量はそれまでのアルバム5冊から、1冊だけに減らすことができたのです。

残す写真の
3つの基準

残す写真を選ぶ基準は、次の3つです。

誕生日やクリスマス、運動会などのイベントの写真は、全員が写っているものを1枚だけ
私がいなくなったあと、3人の子どもたちが見て「お母さんらしいな」と思ってくれそうなもの
私自身の写真は、写りがいいもの

このいずれかに当てはまっている写真は残す。ただし、アルバムは1冊に限定して、それ以上にはならないようにしました。

基準をはっきりさせたことで迷うことなく、残すべき写真を選ぶことができました。

※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。