共通ポイント20年戦争#18Photo:SANKEI

ビデオレンタルチェーンのTSUTAYAで急成長を遂げたカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)は1995年に衛星放送事業に電撃参入する。だが、のるかそるかの大勝負は、衛星放送事業会社の社長だった増田宗昭が三菱商事などの株主に解任され、わずか数年で失敗に終わる。実は、CCCの衛星放送事業を巡っては、若かりし頃の楽天の三木谷浩史やソフトバンクの孫正義も重要な役割を演じている。長期連載『共通ポイント20年戦争』の#18では、CCCの衛星放送事業の顛末(てんまつ)を振り返るとともに、今にも続く「時代の寵児」たちの因縁をひもといていく。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)

米国で見たディレクTVに衝撃
レンタルビデオ店が衛星放送に参入

 1995年2月、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)創業社長の増田宗昭は、出張先の米カリフォルニア州で、テレビ画面に見入っていた。画面に映し出されていたのは、当時は米ゼネラル・モーターズ傘下だったヒューズ・エレクトロニクスが展開する衛星放送サービスのディレクTVである。地上波とは桁違いに鮮明で美しい映像は、テレビ界に革命を起こす可能性を感じさせた。増田はこう言い出す。「うちもやりたい」。

 増田は、通信衛星を運用する日本サテライトシステムズ(現スカパーJSAT)から早速資料を取り寄せた。衛星は70億円ほどで打ち上げられるとのことだった。しかし、CCC取締役で増田の「右腕」だった笠原和彦は懐疑的だった。NEC出身の笠原にとって、衛星が簡単に打ち上げられるとは思えなかったのだ。ビデオレンタルチェーンのTSUTAYAの伸びしろが十分にある中で、大ばくちのような新規事業への参入にも反対だった。

 増田は譲らなかった。増田は、知人を通じてヒューズ日本の社長で、第一物産(現三井物産)出身の池貝庄司と出会い、衛星放送の仕組みを教わる。そして、米ロサンゼルスにあるヒューズの本社に乗り込むと会長兼CEO(最高経営責任者)であるマイケル・アームストロングに、日本での展開を直談判する。当時、南米での衛星放送サービスの開設に注力していたヒューズは、日本市場には手が回っていなかった。急きょ、ディレクTVインターナショナルの社長にスカウトされたケビン・マグラスが窓口となった。

 95年6月7日、増田と笠原はヒューズ本社に視察に訪れる。帰国から1週間後の6月18日には恵比寿ガーデンプレイス(東京・渋谷)にあるCCC本社にヒューズの担当者がやって来る。そして、翌19日に有料コンテンツに料金を支払う「ペイ・パー・ビュー」の衛星放送サービスの立ち上げを目指すとのMOU(基本合意書)を結び、企画会社を立ち上げる。ビデオレンタルチェーンが衛星放送に参入するという一大プロジェクトが動き出したのだ。

 最大のミッションが資金集めだった。ヒューズはCCCに対して大手企業のパートナーを見つけるように要請した。TSUTAYAの1000万人の会員基盤を持つとはいえ、CCCはあまりにも企業規模が小さかったためだ。事業面でシナジーが見込める出資者を探し出す必要があった。