「いいリーダー」か「悪いリーダー」か、誰の目にも明らかになる瞬間があるーー。東北楽天ゴールデンイーグルス社長として「日本一」と「収益拡大」を達成し、現在は、宮城県塩釜市の廻鮮寿司「塩釜港」の社長にして、日本企業成長支援ファンド「PROSPER」の代表として活躍中の立花陽三さんは、初の著作である『リーダーは偉くない。』(ダイヤモンド社)でそう指摘します。それはどんな瞬間なのか? そして、その瞬間にリーダーはどのように対応すべきなのか? 立花さんが実践を通じて掴んだ「秘訣」をお届けします。
リーダーの資質が問われる瞬間とは?
ネガティブ情報(お客様からのクレームや対外的なトラブルなどの情報)やがもたらされたとき、どのように対応するか? これは、リーダーの資質が問われる最も重要な瞬間と言っていいでしょう。
問題を引き起こした担当者を責めるのが論外なのは言うまでもありません。一刻も早くトラブルシューティングに着手するべきであって、そんなことをしている場合ではないからです。
また、それ以上に問題なのは、そんなことをすれば、叱責を恐れる社員がネガティブ情報をリーダーに伝えるのを躊躇することです。そのような組織文化をつくってしまえば、危機対応能力に欠けた脆弱な組織へと陥るからです。だから、そのような態度を取るのは「リーダーの資質」に決定的に欠けていると言うべきだと僕は思っています。
もちろん、トラブルが収束したあとに、そのような事態を招いた原因を明確にして、再発防止策を講じることは必要です。
しかし、ネガティブ報告を受けた瞬間は、それを冷静に受け止め、いや、むしろそのような報告をしてくれたことを評価(あるいは感謝)したうえで、即座に“火消し”に取り掛かることが大切。そして、リーダーの指揮のもとトラブルを無事収束させることができれば、「信頼できるリーダー」と認識されるでしょうし、それ以降、「ネガティブ情報はすぐに報告したほうが得だ」という意識が根付いていくはずです。つまり、「よいリーダー」として認められるようになるわけです。
ただ、ここで注意すべきポイントがあると僕は考えています。それは何か?
僕が楽天野球団の社長だったときに意識したのは、議論をオープンにすることです。
たとえば、ある部門でなんらかのトラブルが発生したとします。その「情報」が耳に入ったら、僕は即座にすべての部門長を自分のデスクに集めます。そして、トラブルの詳細を確認したうえで、組織的な対応策について議論を交わします。大事なのは、それを一般社員にも聞こえるようにすることです(楽天野球団の社員数は約150名ですから、そうすることができました)。なかには、トラブル案件だからと、個室に入って内密に話し合おうとするリーダーもいると思いますが、僕はそれは得策ではないと考えたのです。
議論をオープンにするから、
組織に「意思」が宿る
なぜか?
まず第一に、僕が「不明点」や「疑問点」について質問し、それに部門長たちが応えるプロセスをすべてオープンにすることで、「いま組織で何が起きているか」を、職場にいる全員が正確に共有できることが重要です。
こういう局面で、何よりも重要なのは徹底した「事実確認」。これが不十分だと、その後に打つ手立てのすべてが的外れなものになり、トラブルがさらに大きくなる結果を招きます。
だから、僕が「事実」を厳密に確認するプロセスを見せることで、「事実確認」の重要性を伝えるという意図もありました。
実際、僕の質問に答えられなかった部門長は、その場で部下に「すぐに確認してくれ!」などと指示。そういう訓練を通じて、社内で「情報」を共有するときに、押さえておくべき「肝」も共有することができるわけです。
1971年東京都生まれ。小学生時代からラグビーをはじめ、成蹊高校在学中に高等学校日本代表候補選手に選ばれる。慶應義塾大学入学後、慶應ラグビー部で“猛練習”の洗礼を浴びる。大学卒業後、約18年間にわたりアメリカの投資銀行業界に身を置く。新卒でソロモン・ブラザーズ証券(現シティグループ証券)に入社。1999年に転職したゴールドマン・サックス証券で実績を上げ、マネージング・ディレクターになる。金融業界のみならず実業界にも人脈を広げる。特に、元ラグビー日本代表監督の故・宿澤広朗氏(三井住友銀行取締役専務執行役員)との親交を深める。その後、メリルリンチ日本証券(現BofA証券)に引き抜かれ、数十人の営業マンを統括するも、リーダーシップの難しさを痛感する。2012年、東北楽天ゴールデンイーグルス社長に就任。託された使命は「優勝」と「黒字化」。星野仙一監督をサポートして、2013年に球団初のリーグ優勝、日本シリーズ制覇を達成。また、球団創設時に98万人、就任時に117万人だった観客動員数を182万人に、売上も93億円から146億円に伸ばした。2017年には楽天ヴィッセル神戸社長も兼務することとなり、2020年に天皇杯JFA第99回全日本サッカー選手権大会で優勝した。2021年に楽天グループの全役職を退任したのち、宮城県塩釜市の廻鮮寿司「塩釜港」の創業者・鎌田秀也氏から相談を受け、同社社長に就任。すでに、仙台店、東京銀座店などをオープンし、今後さらに、世界に挑戦すべく準備を進めている。また、Plan・Do・Seeの野田豊加代表取締役と日本企業成長支援ファンド「PROSPER」を創設して、地方から日本を熱くすることにチャレンジしている。著書に『リーダーは偉くない。』(ダイヤモンド社)がある。
第二に、どのような「判断軸」でトラブルに対応するのかを共有できることに大きな意味があります。
というのは、こういう局面ではいつも、部門長たちの意見を踏まえたうえで、「これこれこういう理由で、こういう組織的な対応をする」という形で、「判断軸」を明確に示すことになるからです。
もちろん、部門長が僕に反論してくるようなこともありましたが、その議論を全社員が聞いていることにも大きな意味があります。
そこでどういう議論が行われ、どういう価値軸で決着するのかを、全社員が目の当たりにすることで、組織の「判断軸」に対する理解がどんどん深まっていくからです。
ここで大事なのは、どんなときでも揺るがない「判断軸」の存在です。
いつも場当たり的な対応をしているようでは、リーダーとして「信頼」されませんし、社員たちも「何を軸に考えればいいのか」を明確に理解することができません。それでは、組織が「意思」をもった生命体のように動くことは不可能だと思うのです。
僕の場合であれば、「お客さまのことを最優先にする」という軸は社長在任中にぶれることがなかったと思いますが、それゆえに、「陽三さんならこういう判断をするだろう」「陽三さんはこれをやったら怒り出すだろう」という感覚を全社員が共有してくれていたように思います。だからこそ、何か起こったときにも、僕の指示が全社に行き渡るスピードが速かったのではないかと思います。
日本シリーズ第6戦で起きた「異変」
もちろん、一度や二度、組織全体でこういう経験をしたからといって、すぐに、組織全体が「意思」をもつ生命体のように動けるようになるわけではありませんし、組織としての「瞬発力」が鍛えられるわけではありません。
大小さまざまなトラブルを組織的に乗り越えていくことによって初めて、少しずつ、そういう組織体質を身につけていくようになるのだと思います。その意味では、リーダーは焦りすぎることなく、じっくりと腰を据えて組織体力を鍛えていくという意識をもつべきではないでしょうか。
僕が楽天野球団で「ようやく組織としての瞬発力がついてきたかな」と思えたのは、社長に就任して1年ほどが過ぎた頃のことです。
それは、楽天野球団が日本一になった2013年の日本シリーズ第6戦での出来事です。巨人を相手に3勝2敗と勝ち越している状況で、仙台のホームグラウンドで迎えた第6戦。その試合に勝てば「日本一」が決まるわけで、球場には大勢のファンが応援に駆けつけてくださったのですが、それは僕たちの想定をはるかに上回るものでした。
当時の球場のキャパシティは約2万人でしたから、チケットを買えなかった方々は、球場外に設置した小さなテレビで応援。楽天野球団の社員たちも現場に駆けつけて、トラブルが起きないように精一杯の努力をしていたのですが、ほとんどカオス状態になってしまっていたのです。
そのとき僕は、観客席で戦況を見守っていたのですが、部下からの緊急連絡で状況を知らされ、大慌てで対策に乗り出しました。
というのは、いきなり警察が駆けつけてきて、「球場の外に人があふれている状況は危ない。なんとかしてください」と要請されたからです。現場に急行すると、たしかに危険な状況でした。
そこで、現場の混乱を収めるために人員を増強するとともに、「明日の試合では、絶対にこの状況をつくってはならない。すぐに対策を話し合おう」と部門長たちに招集をかけました。
全員が一斉に動き出した瞬間
そして、第6戦で負けた後、夜10時半くらいから、大勢の社員が残っているオフィスで、部門長たちと協議を開始。球場のそばにある陸上競技場を開けてもらって、チケットを買えなかったファンの皆さんには、そちらに入場していただく。競技場内には、ビジョンカー一台とありったけのテレビを設置して、観戦していただけるようにしようという結論に至りました。
ここからが早かった。
僕たちが話し合っているのを聞いていた社員たちが、「じゃ、僕が陸上競技場の管理責任者に連絡します!」「私がビジョンカーを手配しますね!」などと声をかけあって、担当業務や所属する部門などお構いなしに、動ける人が即座に動き始めてくれたのです。
もちろん、すでに夜中ですから、陸上競技場の管理責任者に連絡がつかなかったり、テレビや配線の手配もすんなりとはいきません。
だから、いつも以上の“ドタバタ劇”になりましたが、翌朝までにはなんとかすべての手配が完了。そして、第7戦には前日を上回るファンが寒いなか陸上競技場に集まってくださり、球場と同じように盛り上がってくださったのです。
これに、僕はちょっと感動しました。
優勝目前というタイミングでしたから、マスコミ対応やファンが買い求めるグッズの手配などなど、それでなくても目が回るような忙しさだったにもかかわらず、「警察に注意された」という一滴の水に、瞬時に組織全体が反応。「お客さまに安全な状況で楽しんでいただく」ために、全力を尽くす組織になってきたことを実感することができたからです。
そして、そんな社員たちを見ながら、心の底から誇らしい思いが込み上げてきたことを今も鮮明に覚えています。
(この記事は、『リーダーは偉くない。』の一部を抜粋・編集したものです)。