想像を絶するスピードとスケールで10兆円企業をつくりあげた経営者から学ぶべきことは多い。孫正義ソフトバンクグループ代表の評伝『志高く孫正義正伝決定版』(実業之日本社文庫)の著者井上篤夫氏が孫氏を深く知る人物と対談し、ビジネスパーソンに学びをお届けする連載「ビジネス教養としての孫正義」の第10回。対談相手は、インターネットの父・慶應大学教授の村井純氏。宮内義彦氏、藤田田氏、柳井正氏、北尾吉孝氏など日本を代表する名経営者が集結していたソフトバンクの取締役会でどんなやりとりが交わされていたのか。とりわけ重要な役割を果たしていた人物とは?(取材・構成/ライター 梅澤 聡)
ビル・ゲイツ氏への独占インタビュー!【6月下旬公開予定】
孫正義vs宮内・藤田・柳井
豪華すぎる取締役会の内幕
井上 村井先生は1999年6月から2011年6月まで、ソフトバンク株式会社(現・ソフトバンクグループ株式会社)の社外取締役を務められましたが、社外取締役を引き受けた経緯について教えてください。
村井 孫さんから直接、電話がかかってきて「協力してほしい」と頼まれました。ソフトバンクが創業から10年を経て、「我々はインターネットでいく」と決意したタイミングでした。
井上 そのとき、孫さんのインターネットに関する考え方は、どう感じていましたか?
村井 いやぁ、すごかったですよ。僕らコンピューター・サイエンティストとは異なり、孫さんは「投資家的な直感」でインターネットの可能性を予見していました。おそらく、インターネットが世の中をどう変えていくか、その未来像が当時から明確に見えていたんじゃないかな。その当時、孫さんの目にはインターネットしか見えていなかったと思います。
その後、インターネットで大成功を収めてからは、たまにブレることがありましたね。特に孫さんがグラグラさせられていたのは、バイオ分野でした。ソフトバンクにおける社外取締役の役割は、もっぱら「ブレて暴走する孫さんを止めること」なんだけど、「それ、インターネットじゃないじゃん」って指摘するのに僕がうってつけだったのでしょう。
そしたら、「村井さんもそう言ってるじゃないか」とオリックス(元会長)の宮内義彦さんが続くこともありましたね。他にも藤田田さん(日本マクドナルドの創業者)、柳井正さん(ファーストリテイリング社長)がいて、みんなそれぞれの立場で孫さんの暴走を止めていました。
あとは北尾吉孝さんも孫さんに意見できる人でしたね。CFOの立場から、何にどのくらいお金を使うべきかを考えて、「そんなにお金を使っちゃいかん」というようなことも進言していました。