ジョセフ・E・スティグリッツ
(Joseph E. Stiglitz)
2001年ノーベル経済学賞受賞。1943年米国インディアナ州生まれ。イェール大学教授、スタンフォード大学教授、クリントン元大統領の経済諮問委員会委員長、世界銀行上級副総裁兼チーフエコノミスト等を歴任。現在はコロンビア大学教授。

 「われわれはいまや皆ケインジアンだ」。そう言えたのはつい先頃のことだった。金融部門とその自由市場イデオロギーは世界を破滅の淵に追い込んだ。市場は明らかに自己修正機能を備えていなかった。規制緩和は惨憺たる失敗であることが実証されたのだ。

 最新の金融手法が解き放った「イノベーション」は、すべての人に長期的な効率の向上や成長の加速化や繁栄の拡大をもたらしはしなかった。それどころか、それらは会計基準の裏をかいて税金を逃れることを狙ったものだった。金融部門が推進する幻の成長ではなく本物の成長の基盤となるインフラや(インターネットのような)技術への公共投資を賄うために必要な税金を逃れるためのものだったのだ。

 金融部門は活力ある経済を生み出す方法についてだけでなく景気後退(彼らのイデオロギーによれば、それは市場の失敗ではなく政府の失敗によってのみ起きる)が起きた場合の対処の仕方についても得々と語っていた。景気が後退期に入ったら、必ず歳入が減って歳出――たとえば失業給付のための支出――が増える。そのため財政赤字が増大する。

暴落を大恐慌に変えた
米国フーヴァー大統領の
財政引き締め策

 金融部門の財政タカ派は、政府は歳出削減によって財政赤字を解消することに傾注するべきだと主張した。赤字が減れば信頼感が戻り、それが投資の回復につながって、ひいては成長の回復につながるという理屈だった。だが、この論理展開はもっともらしく聞こえはするが、それが誤りであることは歴史的証拠が繰り返し証明しているのである。

 アメリカ大統領ハーバート・フーヴァーがその処方を試したときは、それは1929年の株式市場の暴落を大恐慌に変えるのにひと役買った。97年に国際通貨基金(IMF)が東アジアで同じ処方を試したときは、景気低迷が景気後退に、景気後退が不況に変わったのだ。