つねに世間を賑わせ、いまやスキャンダルの代名詞とも言える「週刊文春」。その現役編集長が初めて本を著した。『「週刊文春」編集長の仕事術』(ダイヤモンド社より3月10日発売)だ。本連載では、本書の「読みどころ」をいち早くお届けする。
(編集:竹村俊介、写真:加瀬健太郎)

「人間対人間」でとことん付き合う

 週刊誌作りの原点は「人間への興味」だ。

 タフネゴシエイターと高い評価を受けていた大物政治家が大臣室でとらやの羊羹と一緒に現金を受け取ったり、好感度抜群だった女性タレントが禁断の恋に身を焦がしたり、恋愛禁止のはずのアイドルが好きな男の子の前で泥酔したり号泣したり――。

 やはり人間はおもしろい。愚かだし醜いけど、かわいらしいし美しくもある。立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を遺したが、週刊文春も全く同じ。「週刊文春も人間の業の肯定」なのである。

なぜ「週刊文春」には、話したくないことまで話してしまうのか?新谷学(しんたに・まなぶ) 1964年生まれ。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業。89年に文藝春秋に入社し、「Number」「マルコポーロ」編集部、「週刊文春」記者・デスク、月刊「文藝春秋」編集部、ノンフィクション局第一部長などを経て、2012年より「週刊文春」編集長。

 スクープを追う場合も、表の顔、裏の顔も含めて人間を愛し、とことん付き合うことから情報がもたらされる。私は「人脈」という言葉があまり好きではない。人脈という言葉の中には利用したり、されたり、という利害関係の臭いがするからだ。あらゆる仕事の原点は「人間と人間の付き合いだ」ということを忘れてはいけない。相手をネタや情報源として見たら、スクープは獲れない。

 新聞、テレビなど、多くのメディアは、事件を「人間」ではなく、「図式」で見ているのではないだろうか。相関図を描いて「こっちが贈賄側、こっちが収賄側」と、そこに登場する人物を、とりあえず一人ひとりあたって潰していく。まるでパズルを解くようにマニュアル的に取材しているのではないか。

 しかし、通り一遍のアプローチでは人間はしゃべらない。事件の当事者である人間そのものと真正面から向き合って、人間対人間のとことん深い付き合いをして信頼関係を得た上で口説かなければ、本当の情報は取れない。スクープを獲れるかどうかは、その努力をするかしないかの差なのだ。