犯罪の凶悪化や大規模災害の発生、政治経済の混乱などを背景に社会不安が増し、危機管理に対するニーズが高まっている。その重要な選択肢の一つが警備保障会社だ。日常の防犯・防災から災害時の支援、テロ対策、情報セキュリティに至るまでその役割は多様化している。高度なテクノロジーと専門性の高い人材で社会全体の安心・安全を守る警備保障会社にスポットを当てた。

 

 かつて日本では「水と安全はタダ」といわれた時代があったが、現代ではそんな考えを持つ日本人はいないだろう。凶悪犯罪は多発し、地震や豪雨などの自然災害も頻繁に起こっている。個人にも会社にも危機管理の意識が高まっている。

 危機管理対策のなかでも主要な選択肢が、警備保障会社の利用だ。現在、オフィス、商業施設、公共施設、工事現場、イベントなど、さまざまな場所で警備員の姿を見ることができ、多くの家庭の玄関には警備会社のステッカーが貼られている。警察庁の「平成22年における警備業の概況」によると警備業者数は約9000社、警備員数は約54万人。警備業は社会の安全を支える基盤となっているのだ。

誕生から50年
拡大を続ける警備市場

仙台大学 体育学部新助手
田中智仁氏
修士(社会学)、防犯装備士、認定心理士 2007年、東洋大学大学院社会学研究科社会学専攻博士前期課程修了、11年より現職。特定非営利法人日本防犯装備協会社会安全総合研究所所長。専門は犯罪社会学、社会病理学、警備保障論。著書『警備業の社会学-「安全神話崩壊」の不安とリスクに対するコントロール』で、日本社会病理学会出版奨励賞と日本犯罪社会学会奨励賞を受賞。特定非営利法人日本防犯装備協会特別功労賞を受賞。

 犯罪社会学や警備保障論などを研究する仙台大学の田中智仁氏は、警備業の歴史について次のように説明する。

「日本において警備業が誕生したのは約50年前。1962年に日本警備保障(現・セコム)が創業したのが始まりです。当時は警備業という存在がまったく知られていない時代でした」

 警備会社の存在を一気に広めたのは、東京オリンピックの開催だ。選手村の警備を担当したことなどから、認知度が高まっていく。

「65年頃には、綜合警備保障、東洋警備保障(現・東洋テック)、セントラル警備保障、全日警など、後の業界大手が続々と誕生しました。そして高度経済成長とともに市場も拡大してきました」(田中氏)

 その後、オンラインによる警備システムや家庭用セキュリティシステム、通信端末を使用した人物・車両などの見守りシステムなどが誕生。警備する対象も、社会から家庭へ、そして地域へと広がり、犯罪発生件数の増加とともに警備業は3兆円を超える市場となった。

 警備業全体の売上高や業者数はここ数年頭打ちだが、それでも経済全体の停滞を考慮すれば、不況に強いビジネスといえるだろう。じつは犯罪発生件数はここ数年、減少傾向にある。それでも漠然とした不安感がぬぐえないのは、犯罪や災害などの報道に触れる機会が多いからだ。高齢者という社会的弱者の増加も不安要因の一つだろう。こうした環境を背景に、今後も警備市場は底堅く推移していくと考えられる。