つねに世間を賑わせている「週刊文春」。その現役編集長が初めて本を著し、話題となっている。『「週刊文春」編集長の仕事術』(新谷学/ダイヤモンド社)だ。本連載では、本書の一部を抜粋してお届けする。
(編集:竹村俊介、写真:加瀬健太郎)

ファクトが通用しない世界がやってきた?

 トランプ大統領の誕生は衝撃的だった。

 私がいちばんショックを受けたのは、「ファクト」というメディアにとっての最大の武器が通用しなくなる恐れが出てきたことだ。「ポスト真実」「オルタナティブ真実」などという言葉がまかり通るようになったとき、メディアは何を武器に権力と戦えばいいのか。

 大統領就任式に集まった国民の数なんて、ごまかしようのないものだと思うのだが、そうした客観的な事実さえも認めない人間が権力を握る時代がやってきたのだ。「自ら見たい事実」しか見ようとしない人間が、「自らにとって都合のいい事実」だけをツイッターなどで世界中にばらまく。そしてそれに快哉を叫ぶ人々もまた、「自ら見たい事実」しか見ようとしないのだ。

新谷学(しんたに・まなぶ)
1964年生まれ。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業。89年に文藝春秋に入社し、「Number」「マルコポーロ」編集部、「週刊文春」記者・デスク、月刊「文藝春秋」編集部、ノンフィクション局第一部長などを経て、2012年より「週刊文春」編集長。

 ただ、こうした事態を招いてしまった背景には、メディア自身の責任もある。アメリカ国民の多くは、エスタブリッシュメントの代弁者であるメディアにもNOを突きつけたのだ。日本も例外ではない。政治家、捜査当局、あるいは大手芸能事務所のコントロール下に置かれ、彼らにとって都合のいい情報ばかりを垂れ流していては、読者の信頼を得ることはできない。

 一方でインターネット上には、コントロールされた「建前情報」だけではなく、むき出しの「本音情報」が溢れ返っているのだ。このギャップは拡大の一途をたどっている。そうした状況で、「本音の権化」であるトランプ氏が歓迎されるのは、必然とも言える。メディア不信の空気は世界中を覆いつつある。

 では、メディアはどうすればいいのか。最大の問題はトランプ大統領の前では事実か否か、が争点となっていないことだ。それゆえにメディアがいくらトランプ大統領を批判しても、いや批判すればするほど、彼の支持者は被害者意識を募らせる。荒唐無稽な陰謀論がまかり通る。最近特に感じるのが、「本人がそう言っているんだから間違いない」と信じ込む人が増えていることだ。権力者に限らず、誰しもが自分にとって「都合の悪い真実」を隠そうとする。メディア側と書かれた側の主張が食い違った場合、どうすれば読者に信じてもらえるのか。これは報道機関にとってきわめて切実な問題なのだ。

 ただ、私はメディアに効く特効薬などないと思う。ただただ愚直に正真正銘の「事実」を権力者に突きつける。そうした積み重ねによって、読者の信頼を取り戻すしかない。トランプ批判を前面に打ち出した「ニューヨーク・タイムズ」が、デジタルの有料会員を28万人も増やしたことには大いに励まされた。