「人生は公平ではない。若者よ、早くそれに慣れよ」――かつてビル・ゲイツが言ったように、日本社会の「平等性」や「平均性」は経済衰退に伴って失われていくだろう。そんななか個人の才能を土台として、社会にどのような価値を提供できるだろう。そういうと、「好き」なことでは「食えない」と諦める人がいるが、そんなことはない。カギは、「好き」を極めるのでなく、「好きを継続させる土台(システム)」をつくることにある。
今週は、本論に入る前に日本の未来について一言。
どうあがいても今後、日本が衰退することは間違いない。
だが、それは日本全体が“均等”に衰退することを意味しない。全体はゆるやかに低迷しつづける一方で、とがった個人や一部の地域・組織(企業)が突出する。
つまり、これからの日本は、“まだら”模様となり、“凸凹”が目立つ世界になるはずだ。
具体的に言おう。
現在でも傾向はあるが、今後は、才能あふれ、個性的で、外見も優れた日本人がさらに輩出され、彼らには世界的にスポットライトが当たる。かつてはイチロー、宇多田ヒカル、今なら石川遼や浅田真央に相当するグローバル人材が、急速にしかも多数輩出されるだろう。
多くの日本人は彼らを応援するかもしれないが、切ないことに、彼ら自身は、自分たちを日本人(同類)だと思わない。彼らは日本国民全体の0.01%を占める『地球人』である。残りの日本人のうち、80%は、各地域ローカルで生活をする『地域人』、20%は、東京~上海~シンガポールを行き来する『アジア人』のサラリーマンとなる。
学校を出た後の世界は
平等ではない。早く慣れよ
日本において“平均”は意味をなさなくなり、“平等”は消滅する。
「平等」に固執する人々は、もっとも大きな精神的苦痛を味わうことになるだろう。