この記事は、デザイン・イノベーション・ファームTakramのメンバーが毎週月曜日に配信しているPodCast「Takram Cast」の収録をもとに構成したものです。Takram代表・田川欣哉氏が、事業のパートナーである統計家・西内啓氏と、30万部を突破したベストセラー『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』共訳者・上杉周作氏を迎え、デザイナー、エンジニア、統計家それぞれの視点から語り合いました。

データと真実から見えてくる正しい世界とは何か。著者・ハンス・ロスリング氏の伝えたかった価値観とは。全3回でお送りします。(構成:プレーンテキスト 写真:疋田千里)

原著に込められた「統計の知識のない人に伝えたい」という思い

田川:今日は話題のベストセラー、『FACTFULNESS』の共訳者・上杉周作さんと、統計家の西内啓さんをお招きしています。西内さんとツイッターで本の感想をつぶやいたら、すぐに上杉さんが反応してくれて、お忙しいなかお話を伺えることになりました。
 

ディストピアな未来は本当か?世界への目線をニュートラルにしてくれる名著を語る田川欣哉(たがわ・きんや) Takram代表。プロダクト・サービスからブランドまで、テクノロジーとデザインの幅広い分野に精通する。主なプロジェクトに、トヨタ自動車「e-Palette Concept」のプレゼンテーション設計、日本政府の地域経済分析システム「RESAS」のプロトタイピング、Sansan「Eight」の立ち上げ、メルカリのデザインアドバイザリなどがある。グッドデザイン金賞、 iF Design Award、ニューヨーク近代美術館パーマネントコレクション、未踏ソフトウェア創造事業スーパークリエータ認定など受賞多数。東京大学工学部卒業。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修士課程修了。経済産業省「産業構造審議会 知的財産分科会」委員。経済産業省・特許庁の「デザイン経営」宣言の作成にコアメンバーとして関わった。2015年から2018年までロイヤル・カレッジ・オブ・アート客員教授を務め、2018年に同校から名誉フェローを授与された


西内:私と上杉さんは、だいぶ昔に『ウェブ進化論』の梅田望夫さんのオフィスで知り合ったのですが、今回は翻訳という予想外の形で日本で有名になりましたね。あらためて上杉さんのバックグラウンドや、なぜこの本を訳そうと思われたのかを伺いたいです。

上杉:はい。『FACTFULNESS』の共訳者、上杉周作と申します。私は12歳のときに親の仕事の都合でアメリカに引っ越して以来、アメリカに在住しています。アメリカの大学でコンピュータサイエンスを学び、シリコンバレーで8年ほどエンジニアをしたあと、仕事を辞めて世界一周をして、その後フリーランスエンジニアとして活動していました。

そのときにはじめて、ハンス・ロスリングさんのTEDのプレゼンテーションを拝見したんです。

感銘を受けてこのプレゼンについてツイートしたところ、以前から友人だった関美和さんという翻訳者の方から、ハンス・ロスリングさんの『FACTFULNESS』を共訳しないかというオファーをいただいたのです。

西内:なるほど。今回、翻訳されたのはツイッターがきっかけだったんですね。『FACTFULNESS』にはデータの話もたくさん出てきていますし、医療の話や開発経済の話など、分野を横断していろいろなテーマが取り上げられていますが、それをわかりやすく訳すのは苦労されたのではないでしょうか。

上杉:そうですね。翻訳に着手する前に、原著の著者さんたちから、「翻訳する際に使ってはいけない言葉」が一覧にして送られてきまして、一番上にあったのが「相関」でした。

原著では、「AとBには相関関係がある」「因果関係がある」という言葉は使っていないので、翻訳する際も使わないようにしてくださいと依頼されたんです。そこで、統計用語をはじめとする専門用語は極力使わずに訳すことになりました。

というのも、統計や認知心理学に興味がある人だけでなく、NPOやNGOなど、紛争地帯や困窮した地域の最前線で活動をされている方のように、統計の知識はないけれど世の中をよくしたいと考えている人たちにもこの本が届いてほしい、というのが彼らの考えだったからです。

西内:原著の段階からそういう意識があったんですね。私も本を書くときには、できるだけ平易な言葉を使おうと努力しているのですが、『FACTFULNESS』では翻訳のセンスでわかりやすい言葉に置き換えられたのか、原著でそもそもそうした言葉が使われていたのかが気になっていました。

上杉:原著でわかりにくかった部分を私と関さんで書き換えたところも、もちろんあります。英語と日本語、それぞれの言語の特徴がありますので、元の意味は変えずに、日本語に訳したときにわかりやすくしたり、文の順番を入れ替えたりということはしています。それからグラフの配置にもかなり気を配りましたね。

西内:たとえば……224ページを開くと、やわらかな印象の折れ線グラフが出てきますよね。これはExcelやBIツールで出した折れ線グラフよりも、トンマナに気をつかわれているのかなと。私の『統計学は最強の学問である』でも、こちらで用意した素材をデザイナーが柔らかく加工をしてくれたのを思い出しました。

上杉:あの本のグラフもそうでしたね! 西内さんの本は本当におすすめで、とくに『統計学が最強の学問である[数学編]』は、ずいぶんと周りに勧めているんですよ。

『FACTFULNESS』では、グラフなどの画像の翻訳と加工はすべて私が担当しました。ExcelやBIツールで出力されたデータの上を、イラストレーターのパスツールでなぞるようにして、見やすくつくっています。たとえばグラフの目盛りでも、すべての年号ではなく大事な年号だけにするなど、できるだけ余計な要素を入れないように注意しました。情報量を極力減らして、必要なことだけを伝えるというイメージですね。

西内:田川さんはデータのビジュアライゼーションもされていますけれども、本書をご覧になっていかがでしたか。

田川:私は『FACTFULNESS』をKindleで読んだのですが、上杉さんのお話を聞いていると、紙版のほうがいいかもしれないと思いました(笑)。Kindle版の場合、ページネーションが文字サイズで変わってしまうので、グラフなどの画像が別ページにくくり出されてしまうんです。

上杉:グラフといえば、『FACTFULNESS』の表紙を開いたところに「世界保健チャート」というものを掲載しているのですが、これのアニメーション版をGIF動画にしてツイッターに投稿をしたら1,000件ほど「いいね」されていました。

データを伝えるにあたって一番強いのはアニメーションなのかもしれません。アニメーションは本では表現することができないので、これからもSNSなどでシェアしたいなと考えているところです。
 

ディストピアな未来は本当か?世界への目線をニュートラルにしてくれる名著を語る左:上杉周作(うえすぎ・しゅうさく) 日本とアメリカ育ち。カーネギーメロン大学でコンピューターサイエンス学士、ヒューマンコンピュータインタラクション修士取得。卒業後、シリコンバレーのPalantir Technologies社にてプログラマー、Quora社にてデザイナー、EdSurge社にてプログラマーを経験。2017年に世界一周後、現在はシリコンバレー在住。関美和氏とともに『Factfulness (ファクトフルネス)』共訳者。
右:西内啓(にしうち・ひろむ) 統計家。東京大学医学部卒業。著書の『統計学が最強の学問である』シリーズは計50万部のベストセラーとなり、日本統計学会出版賞を受賞。現在は株式会社データビークル代表取締役として、拡張アナリティクスツール「dataDiver」などの開発・販売、官民のデータ活用プロジェクト支援にも従事している。横浜市立大学客員准教授、青山学院大学招聘准教授も兼任

メディアはなぜ世界を不幸に見せたがるのか?

田川:この本を読んで思い出したことがあって。中学生の頃に気づいたのですが、大晦日の特番などの長尺番組を見ていると、あいだにたびたびニュースが挟まれますよね。そこではなぜか、地方の火事のような不幸な話題が取り上げられることが多いんです。

私の父親が新聞記者だったので、その理由を尋ねてみたんですが、消防署や警察署で発表されるプレスリリースをそのまま読み上げるだけのニュースと、そうでないニュースでは、かかるコストがまったく異なるというんですね。幸福なニュースにかかるコストは、不幸なニュースにかかるコストの10倍ほどにもなると言っていました。

上杉:ああ、そのお話、よくわかります。

田川:はい。『FACTFULNESS』の中にも書かれていますが、メディアというものは記事を書くことに費やすコストと、そこから刈り取ることができる利益、いわゆるROIを考える必要があると。年末年始はメディア関係者も正月休みをとっていて、出勤している記者が少ないので、よりコストがかからないニュースを選ぶ。だから一見、世の中には不幸があふれているように感じるのだけれど、それはメディアサイドのビジネスの都合によってそう見えているだけなのだ……という話をされて、衝撃を受けたことを覚えています。

ディストピアな未来感は伝播しやすいけれども、実際にデータを見てみるとそうでもないよということを、西内さんも普段よくおっしゃっていますよね。『FACTFULNESS』も、すごく過激で極端なところから落ち着いたところへ、世界に対する目線をニュートラルにしてくれる感覚があるなと。それが最初の感想でしたね。

西内:本の中で記憶に残ったエピソードとかはありますか?

田川:この本の中で私がすごく好きなのは、地球温暖化をめぐるアル・ゴア(元アメリカ)副大統領と、著者のハンスさんの「焦り本能」に関するエピソードです。

ハンスさんは、地球温暖化に関する質問について、世界のどこでもチンパンジーより正解率が高いのは、地球温暖化について世間に知らしめたアル・ゴアのおかげだと考えていて、彼のことが大好きだったんですね。でもTEDの舞台裏でアル・ゴアさん本人とはじめて会ったときに、二酸化炭素の排出量がこのまま増え続けたらどんなことになるかを、ハンスさんお得意のバブルチャートで示してほしいとアル・ゴアから頼まれて、それだけはどうしてもできなかった、という話です。

この誠実さ、謙虚さみたいなところに共感を覚えました。(続く

ディストピアな未来は本当か?世界への目線をニュートラルにしてくれる名著を語る