大和ハウス工業といえば、大手住宅メーカーというイメージが強い。しかし実は住宅だけでなく、介護施設や物流施設の建設など幅広い事業を展開。近年では、ロボットスーツやメガソーラー、植物工場ユニットも取り扱う。「世の中が必要とするもの」を創出してきた歴史と、住宅の安全性を実現する最新技術から、現代へと継承されている創業の精神を読み解く。

パイプハウス創業商品「パイプハウス」

 大和ハウス工業の創業は1955年。きっかけは、その数年間に近畿地方を襲った大型台風にあった。被害を目の当たりにした創業者の石橋信夫氏は、木造家屋が倒壊するなかで、竹林の竹は折れていないことに気づく。「竹と同じ中空の鉄パイプを使えば、自然災害に強い安全な家ができる」。それが、創業商品「パイプハウス」の開発につながった。国鉄や電電公社に狙いを絞った販売戦略が功を奏し、パイプハウスは大ヒット商品となる。

プレハブ住宅の原点となった「ミゼットハウス」

 プレハブ住宅の原点となる「ミゼットハウス」が誕生したのは1959年のことだ。当時は戦後のベビーブームで、子どもがとにかく多い時代だった。ある日、創業者が趣味の鮎釣りをしていたときのこと。川で遊んでいる子どもたちとの会話から、彼らが家に帰っても居場所がないことを知る。

 吉村義治氏大和ハウス工業
石橋信夫記念館 館長
吉村義治氏

 そのことをヒントに、庭に設置できる簡易な勉強部屋の開発を研究員に命じた。当時の研究員にしてミゼットハウス開発者、現在は石橋信夫記念館館長を務める吉村義治氏はこう振り返る。

「創業者から指示された条件は、3時間で組み立てられて、坪あたり4万円以下、面積は建築確認申請が不要な6畳以下という厳しいものでした。これはパイプハウスでは実現できないと考えて、全く新しい工法での開発を申し出ました」

 そして約3ヵ月後、軽量鉄骨の柱に、内壁と外壁を一体化したパネルをはめ込む工法のミゼットハウスが完成。現在のプレハブ住宅の原点といえる商品の誕生だった。全国のデパートで展示販売する戦略が反響を呼び、ミゼットハウスは爆発的な売れ行きを見せる。

 続いて、お客さまから寄せられた「トイレや台所もつけてほしい」との声に応えて、「スーパーミゼットハウス」を開発する。さらに改良を重ねて、1962年には本格的なパネル式プレハブ住宅「ダイワハウスA型」を発売。この商品は、住宅金融公庫の融資対象住宅として最初の認定登録を得た。