従来の産業廃棄物処理業のイメージを覆し、リサイクル業、さらには地域密着型の観光業という新たなビジネスモデルを確立しつつある石坂産業社長・石坂典子。
地球から生まれた鉱物を使用し、纏う人、つくる人の心まで豊かにするジュエリーをつくりたいとの思いからジュエリーブランド会社HASUNAを経営する白木夏子。
ベストセラー『チームの力』の著者で、東日本大震災の際、日本最大級の支援組織「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の代表を務め、10万人規模のボランティアを機能させた西條剛央。
西條の呼びかけで集まった3人が、「これからのチーム」を語る後篇。
(構成・橋本淳司)

事業規模が10倍になれば
10倍の人を助けられる

石坂典子(いしざか・のりこ)
石坂産業株式会社代表取締役社長。「所沢ダイオキシン騒動」最中に2代目社長に。地域から嫌われ、社員の4割が去る絶体絶命の状況から「脱・産廃屋」を目指し、社員教育を断行。12年かけて、トヨタ、全日空、日本経営合理化協会、各種中小企業、大臣、知事、大学教授、タレント、ベストセラー作家、小学生、中南米・カリブ10ヵ国大使まで、日本全国だけでなく世界中からも見学者があとを絶たない企業に変える。経済産業省「おもてなし経営企業選」選抜。2013年末、首相官邸からも招待。財団法人日本そうじ協会主催の「掃除大賞」と「文部科学大臣賞」をダブル受賞。『心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU』(日本テレビ系)にも出演。ホタルやニホンミツバチが飛び交う里山保全活動に取り組み、JHEP(ハビタット評価認証制度)最高ランクの「AAA」を取得(日本では2社のみ)。「所沢のジャンヌ・ダルク」という異名も。本書が初の著書。(撮影:平山順一)

白木 石坂さんの『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』のなかで、「半年間で社員が4割減! 不退転の決意で血を入れ替える」という記述がありますよね。

石坂 私が新しく掲げた方針に合わない社員が続々と辞めていったのです。

白木 HASUNAを立ち上げると、私の理念に共感してくれたスタッフが集まってくれました。ただ、初期に集まってくれたスタッフと、ここ1、2年で会社が拡大成長するときに集まってくるスタッフはタイプが違います。

 初期は社会貢献したい、ソーシャルに興味がある、貧困問題に関わりたい、ボランティアでもいいからやりたい、という方が多くて、一時期は別の会社で働きながら、空いた時間にボランティアで手伝ってくれる人もいました。そういう方々が何十人もいて創業期を支えてくれたのはとてもありがたいことです。

石坂 ええ。

白木 でも、そこからビジネスとして拡大成長させるというフェーズは全然違います。新たに増えたスタッフは、ジュエリービジネスを成功させた上で社会貢献するというマインドセットに変わりました。

石坂 それは自然な流れで変わっていったのか、それとも意図して変えていったのか、どちらですか?

白木 意図的に変えました。ジュエリーブランドとして大きく成長させないと、小さなままでは結局できる貢献が限られてくるからです。本当のジュエリー好きの方々に愛されるブランドにしないといけない。彼らはデザインのよさ、質のよさ、店頭でのサービスのよさを見ているのです。一般の人にとって社会貢献は二の次です。

白木夏子(しらき・なつこ)
株式会社HASUNA代表取締役・チーフデザイナー。1981年鹿児島県生まれ、愛知県育ち。短大を卒業したあと、2002年ロンドン大学キングスカレッジ進学。国連インターン、投資ファンド会社を経て、2009年HASUNA設立。人、社会、自然環境に配慮したエシカルジュエリーブランドを日本で初めて手掛け、注目を浴びる。テレビや雑誌やはじめ、あらゆるメディアに出演し、そのビジネスと生き方に絶大な支持を集めている。世界経済フォーラムGSCメンバー。

 日本を代表するジュエリーブランドにすると決めた段階で、デザイン、品質、サービスを完璧に追求した事業をつくり、成功を収めるなかで社会貢献しようという考え方に代わりました。集まってくださる人たちも、この数年はジュエリー業界出身者やブランドビジネス経験者が増えてきました。

西條 チームというのは単なる集団を超えた、「何らかの目的を実現するために結成されたもの」です。目的と状況に応じていいチームのあり方は変わります。

 おそらく石坂さんの場合は、先代から社長を継いだ時点で、状況にあわせて会社の目的も変わっていますよね。ダイオキシン騒動で倒産寸前に追い込まれるなかで、従来の産廃業から、プラスの価値を生み出していく会社になることが目的になったわけです。するといままでの経営方法とは大きく変わりますし、ついてこられないメンバーも出てくるでしょう。

石坂 そうですね。