5月20日、プーチン大統領は中国を訪問した。中ロが手を組み、米国に歯向かう――。これは、実は9年前にも起きたことであり、2008年のリーマンショックの遠因でもあった。中ロ最接近の歴史的経緯と背景を解説しよう。

 日本でも大々的に報じられているように、ロシアのプーチン大統領は5月20日、中国・上海を訪問した。プーチンと習近平国家主席は、東シナ海で行われる「中ロ合同軍事演習」の開幕式に出席し、さらに両国は大規模な「天然ガス輸出契約」を締結。ロシアは2018年から30年間、総額4000億ドル分のガスを中国に輸出することとなった。

 共同声明には、日本を念頭に「歴史の改ざんと戦後秩序の破壊に反対する」と明記された。このように中ロは現在、「軍事面」「経済面」だけでなく「イデオロギー面」でも一体化しているように見える。

 中ロ接近の一方、米国は奇妙な動きをしていた。ウクライナでシェールガスの採掘権を持っている企業・BURISMAの取締役に、バイデン米副大統領の次男が就任したのだ。つまり、ロシア影響圏内の資源にちゃっかりと触手を伸ばしたということだ。

 ますます混迷する中ロvs欧米の対立だが、実は似たような構図は過去にもあった。

「米ロ新冷戦」は11年前に始まった

 実をいうと、中国とロシアの接近は、今にはじまったことではない。話は11年前、03年までさかのぼる。当時、米国は今よりもっと強盛で、01年にアフガンを攻め、03年にはイラク戦争を開始していた。ところで、FRBのグリーンスパン元議長は、この戦争について面白い見解を示している。(太線筆者、以下同じ)

<「イラク開戦の動機は石油」=前FRB議長、回顧録で暴露
【ワシントン17日時事】18年間にわたって世界経済のかじ取りを担ったグリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長(81)が17日刊行の回顧録で、2003年春の米軍によるイラク開戦の動機は石油利権だったと暴露し、ブッシュ政権を慌てさせている。>(時事通信07年9月17日)