東日本大震災ではボランティアの動きが早かった。有力NGO(非政府組織)は震災翌日から現地入りし、被災地では住民が自主的に地域活動を始めた。しかし避難生活が1ヵ月超となる今、ボランティアの不足感が強まっている。
(「週刊ダイヤモンド」副編集長・大坪 亮、本誌委嘱記者・田原 寛、ライター・嶺 竜一)
「いやなら行くなよ」
「僕は単に、現地の安全性について質問しているだけですよ」──。
4月2日、東京都社会福祉協議会が募集した震災支援ボランティアの説明会場で、怒号が飛び交った。協議会が被災地までの交通や宿泊手段(公共施設での寝袋利用)、食事を用意。それを活用して1週間、支援活動に専念するボランティアを募集した。その概要説明の後の質疑応答での出来事だ。
福島原子力発電所の事故が拡大した場合、ボランティア活動に参加している人の安全はどのように担保されるのか──。その種の質問が参加者から繰り返し出されたのに対し、いらだった他の参加者から冒頭の言葉が発せられた。
「質疑応答の場ですから、参加者同士の口論は控えてください」。主催者がそう引き取って、説明会はほどなく終えた。
「被災地での活動自体に不安はないけど、今のような人たちと一緒に活動をするのはやや憂鬱」。1人で参加した20代の女性が覚えた後味の悪さは、多くの人に共通するものだっただろう。
ただし、この口論は、今回の震災ボランティア活動の特徴を象徴しているといえる。じつにさまざまな人たちがボランティアに参加しているのだ。そして、ある程度の危険と困難な状況に置かれ、感情的になる人も出てくる。
16年間で裾野が広がりNGOと企業が連携
阪神・淡路大震災に際して、全国から大勢の人びとが兵庫県に向かい、支援活動に入った1995年がボランティア元年と呼ばれる。
その後16年、新潟県中越地震等の国内災害や海外の紛争地域での難民への支援活動などを経て、日本のボランティアは裾野が広がった。たとえば日頃は海外で活動するNGOに、企業からの寄付などを供給し支援するジャパン・プラットフォーム総務部長の田口圭祐氏は、阪神・淡路大震災の学生ボランティアからスタートしている。