メドベージェフ首相の汚職問題がYouTubeで暴露され、大規模なデモが各地で勃発したロシア。モスクワでは約1000人が逮捕される大騒ぎになった。プーチンが超安定かつ長期政権を築き上げてきたロシアでいったい、何が起きているのだろうか?(国際関係アナリスト 北野幸伯)
クリミア併合で英雄に!
今も高支持率を維持するプーチン
クリミア併合後、欧米による制裁による景気悪化をものともせず、高支持率を誇ってきたプーチン政権が揺れている。
反体制派の指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏が3月2日、メドベージェフ首相の汚職に関する動画をYouTubeに公開したところ、1ヵ月で再生回数1700万の大ヒットとなった。これをきっかけに3月26日、真相を求めるデモがロシア各地で起こり、モスクワでは約1000人が逮捕された。
日本のようにデモの自由が確立されている国と違って、独裁政権で情報統制が徹底しているロシアで起きた今回の暴露事件とデモ。超安定かつ長期政権を築き上げてきたプーチンにとって、これは大打撃となる可能性がある。話が理解しやすくなるよう、ロシアのこれまでを、簡単に振り返ってみよう。
1991年12月、ソ連が崩壊した。新生ロシア初代大統領になったエリツィンの改革は大失敗。92~98年で、同国の国内総生産(GDP)は、40%以上減少した。しかし、2000年にプーチンが大統領になると、状況は一変する。プーチンは00年から08年まで、年平均7%の経済成長を実現した。これで、彼は「神のごとき存在」になった。
08年、プーチンは「大統領は4年2期まで」という規定に従い引退。弟子のメドベージェフを大統領にし、自分は名目上のナンバー2である首相になる。そして12年、プーチンは、大統領に返り咲いた。しかし、4年間のブランクで人気は下がっていて、大統領選前には大規模な「反プーチンデモ」も起こっている。
そんなプーチンを再び「神」にしたのが、14年3月の「クリミア併合」だ。日本人には信じがたいだろうが、ロシア人はほぼ100%、「クリミア併合」を支持している。
まず、エカテリーナ2世時代の1783年からソ連時代の1954年まで、クリミアはロシア領だった。1954年、クリミアは、当時ソ連の指導者だったフルシチョフの「鶴のひと声」でウクライナに移管された。この決定を、ロシア人は「不当だ」と憤っていた。そして今でも、ほぼすべてのロシア人が「クリミアは本来ロシアのものだ」と信じている。
プーチンは、そんなクリミアを「無血」で取り戻した。これで彼は、「歴史的英雄」になった。以後、現在にいたるまで80%以上の支持率をキープしている。