経済力をつけた中国が、戦わずして敵を屈服させる孫子の戦法さながらに、欧米のつくった国際秩序にも対抗していくのを、アメリカはどう見ているのか? 2017年上半期のベストセラー歴史書『米中戦争前夜 新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』から一部を抜粋してご紹介します。台頭する新興国と、守りに入る覇権国がいつしか戦争に突入する要件を、過去500年の事例から分析し、現代の米中関係への示唆を提示していく本書。著者であるグレアム・アリソン教授はハーバード大学ケネディ行政大学院の初代学長で、政治学の名著『決定の本質』(日経BP社)の著者として知られ、しかもレーガン~オバマ政権の歴代国防長官の顧問を務めた実務家でもあります。

 ヒラリー・クリントンは国務長官時代、21世紀はパワーバランスという概念が時代遅れになる、と言ったことがある。だが、世界指折りの中国ウォッチャーだった故リー・クアンユーの考えは違った。むしろパワーバランスが国家間の関係を理解するときの基本的要素になる、というのだ。ただしリーは、こう付け加えた。「かつてパワーバランスとは主に軍事力のことだったが、今は軍事力と敬愛力の両方が含まれる。むしろ経済力の比重のほうが大きいくらいだ」

経済力のみならずソフトパワーも長けている中国にアメリカは…?

 この新しいパワーバランスは「地経学(geoeconomics)」とも呼ばれる。貿易のみならず投資政策や制裁、サイバー攻撃、対外援助といった経済的手段によって、地政学的目標を達成するということだ。その最たる例が中国と言えるだろう。

 中国が外交で経済力を駆使するのは、それが可能だからにほかならない。中国は現在、世界130ヵ国にとって最大の貿易相手国だ。これにはアジアの主要国すべてが含まれる。2015年、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国の貿易総額の15%を中国が占めた。アメリカの割合は9%だ。環太平洋経済連携協定(TPP)が立ち消えになれば、中国はすぐに独自の共栄圏を構築するだろうから、米中のギャップは拡大するだろう。

 この戦略は、「最もよいのは戦闘で勝利することではなく、戦わずして敵を屈服させることだ」という、孫氏の言葉を思い起こさせる。キッシンジャーは、『キッシンジャー回想録 中国』(邦訳・岩波書店)で、孫氏の言う勝利とは「単に武力による勝利」ではなく、戦闘が意図する「究極の政治目標を達成すること」であり、「戦場で敵と戦うよりもはるかにいいのは、……敵を逃げられない不利な場所に追い込むことだ」と指摘している。現在の中国は、それを経済力によって実現している。

 もちろん、国際関係に影響を及ぼすには、経済力があるだけでは不十分で、経済力を使いこなすスキルが必要だ。その点、中国政府は“ソフトパワー”という武器を使うことにも長けている。相手が現実を理解していないか、現実に抵抗する姿勢を見せると、経済的なアメトムチ(貿易、制裁、投資、賄賂、盗み)を駆使して、言うことを聞かせるのだ。中国からの輸入品に大きく依存する国、あるいは自国製品の輸出先として中国市場に大きく依存する国は、とりわけ立場が弱くなる。こうした国と対立が生じたら、中国は輸出を遅らせたり、その国からの輸入をストップしたりする。

 よく知られる事例は、2010年にレアアースの対日輸出を指し止めたケース(日本に拿捕された中国漁船の船員を釈放させるため)や、2011年にノルウェー産サーモンの輸入をストップしたケース(中国の反体制派活動家・劉暁波へのノーベル平和賞授賞に抗議するため)、2012年にフィリピン産バナナの検疫を強化して港で腐らせたケース(南シナ海のスカボロー礁の領有権争いで、フィリピン政府の態度変更を強いるため)などだろう。

 中国は、経済的なパワーバランスで極めて優位にあるから、多くの国は中国の要望に従うしか現実的な選択肢はない。国際的なルールが自国の味方であっても、意味はない。たとえば南シナ海の領有権争いで、常設仲裁裁判所が2016年に中国の主張を全面的にしりぞける決定を下したが、中国は完全無視を決め込んでいる。南シナ海がらみの対立で、中国は相手国をおだてたり、寛大な態度を示したり、賄賂を贈ったり、脅迫したりして、みずからに最も有利な“妥協案”をまとめてきた。

 もちろん、いちいち各国と交渉をするよりも、自分たちを優遇してくれる国際機構があったほうが都合はいい。アメリカの場合、第二次世界大戦後に築いたブレトンウッズ体制がその機能を果たした。アメリカは国際金融の調整を図るIMF(国際通貨基金)と、途上国に低金利で融資する世界銀行、そして関税と貿易に関する一般協定(GATT)と後継機関のWTOを設立した。IMFと世界銀行のガバナンスを変更する場合、拒否権をもつのはアメリカだけだ。

 経済力をつけた中国が、こうした古い国際秩序に不満をもつようになったのは無理もない。だから中国は、それに代わる機関を構築し始めた。たとえば、2013年にアジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立を発表したのは、世界銀行における中国の投票権拡大が認められないことに業を煮やしたからだ。

 アメリカは衝撃を受けて各国政府に参加しないよう働きかけたが、2015年のAIIB発足時には、イギリスなどアメリカの主要同盟国を含む57か国が参加した。低利融資と巨大インフラプロジェクトの恩恵にあずかるため、アメリカにノーと言い、中国にイエスと言ったのだ。AIIBの魅力は明白だった。それまで中国の対外投融資を担ってきた国家開発銀行は、すでに世界銀行を抜き、世界最大の国際開発融資機関になっていた。中国は2016年にAIIBに300億ドル出資するなど、欧米の六大開発銀行の融資残高1300億ドルを上回る金額を、国際開発プロジェクトに融資した。

 中国が欧米のルールに従うのをやめて独自の国際機関をつくることにしたのは、AIIBが初めてではない。2008年の金融危機と世界同時不況の後、中国は新興国グループのBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の組織化を進めた。ここはアメリカなどG7(主要7か国:フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)の行動規範とは無縁だ。2014年にロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナ派兵を非難されてG7首脳会合への招待を取り消された。アメリカとEUはプーチンが「孤立した」と述べたが、習近平はその1ヵ月後のBRICS首脳会議でプーチンを歓迎した。

 中国はほかにも欧米のルールと一線を画す行動をとってきた。2013年9月、習は1兆4000億ドルを投じて、アジア、ヨーロッパ、北アフリカの65ヵ国、計44億人を結ぶ「新シルクロード」計画を発表した。「シルクロード経済ベルト」と「21世紀海上シルクロード」を合わせた「一帯一路構想」によって、ユーラシア大陸に高速道路、高速鉄道、空港、港、パイプライン、送電線、光ファイバーケーブル網を建設しようというのだ。このインフラネットワークは、新たな外交関係、貿易関係、金融関係を促進するだろう。すでに900件(計1兆4000億ドル超)の関連プロジェクトが動き出している。元IMFチーフエコノミストのスティーブン・ジェンによると、これはマーシャルプラン12個分に相当する規模だ。

 「太っ腹投資」や「経済帝国主義」など、呼び方はいろいろあるだろう。いずれにしろ、中国の経済ネットワークが世界全体に広がり、既存のパワーバランスを揺るがし、長年アメリカと同盟を組んできたアジア諸国さえ中国に傾いているのは事実だ。リー・クアンユーは、このことを簡潔に述べている。「中国は、その巨大市場と購買力によって、東南アジア諸国をみずからの経済システムに飲み込もうとしている。日本と韓国が飲み込まれるのも避けられないだろう。武力を使わずに、どんどん飲み込んでいく。……中国が経済的影響力を拡大していくことに抵抗するのは、極めて難しいだろう」。まさに、「黄金を持つ者が支配する」という格言のとおりだ。

 アメリカでも指折りのアジア専門家だったスティーブン・ボズワースも、米中両国の相対的な立場逆転について印象的なコメントを残している。約30年にわたり駐フィリピン大使や駐韓国大使を歴任したボズワースは、1998年から10年ほどタフツ大学フレッチャー法科外交大学院の学長として運営に尽力した後、2009年にオバマ大統領の北朝鮮担当特別大使に任命されて外交の世界に復帰した。このとき2週間ほどアジア諸国を訪問したボズワースはわが目を疑い、まるで「リップ・バン・ウィックル(アメリカ版の浦島太郎)になった気分だった」と振り返っている。変わったのは街並みだけではなかった。昔は危機や問題が起きると、アジアの指導者たちは真っ先にワシントンの意向を知りたがった。それが今は、「北京はどうするだろう」と考えるようになっていたのである。