「働き方改革」が叫ばれるなか、社員7人の町工場ながら「完全残業ゼロ」を続けている「吉原精工」という町工場がある。残業ゼロといったときに、残業代分の給料がそのまま下がる会社が多いなかで、同社は、社員の給料は全員が600万円以上(参考:全国平均年収約420万円/平成27年度 国税庁民間給与実態統計調査より)となっている。一方で、同社はリーマン・ショック以降、売り上げや利益を伸ばし続けており、「社員も会社も儲かっている会社」として注目されている。最近、『町工場の全社員が残業ゼロで年収600万円以上もらえる理由』(ポプラ社)も上梓した吉原会長が実行した働き方改革とは。(吉原精工会長、吉原博)

Photo by 金壮龍

その昔、吉原精工は「ブラック企業」だった

1980年、社会人として3社に勤務したのち、私はワイヤーカット加工機1台で、一人で吉原精工を創業しました。30歳のときでした。

創業当初は加工の仕事がない日もありましたが、そんなときは「今日は2社、新規顧客開拓をしよう」などと自分にノルマを課し、ハローページを見ながら飛び込み営業をしていました。
独立して1年後にはお客様がずいぶん増え、機械1台では仕事が回らないほどになりました。間借りしていた工場の機械が空いているときは、お金を払って機械を借りたりもしたものですが、それでも仕事をこなしきれなくなったため、いよいよ自分で工場を構えることにしました。
私は自宅のある神奈川県綾瀬市に貸工場を借りて、機械をリースで2台用意し、馬車馬のように働きました。

仕事は順調で、創業から2年ほど経った頃には自分一人では仕事が回らなくなりました。そこで、経験者を採用し、社員数を増やしていきました。
業務は多忙を極め、当時の社員の残業時間は1ヵ月に80~90時間はあったと思います。世の中全体に「忙しければ頑張って働くのは当たり前」という空気があり、「ブラック企業」という言葉はもちろん、「過労死」という言葉さえ生まれていない時代でしたから、社員から表立って不満が出ることはありませんでした。
しかしこうして振り返ってみれば、かつての吉原精工は間違いなく「ブラック企業」だったと言わざるを得ません。

そして1986年、日本経済はバブル期に突入しました。吉原精工もバブルの勢いに乗ってさらに規模を拡大し、社員数は20人を超えるまでになりました。
バブル期は、いくら断っても次から次へと仕事が舞い込んでくる状況で、多くの会社に「稼げるだけ稼ごう」という空気が広がっていました。吉原精工はもちろん、付き合いのある会社などでも、「定時」という概念はほとんどなかったように思います。

この時期、経営者としては求人難への対策を考える必要がありました。人材は完全に売り手市場で、特に若い人を採用するのは非常に難しかったからです。
「3K(危険、汚い、キツい)」という言葉が生まれたのもこの頃で、工場経営者仲間の間では「人が採れない」という悩みがよく話題にのぼっていました。

3度の倒産危機から生まれた「残業ゼロ」

1992年、バブルが崩壊すると、吉原精工は倒産危機に直面することになりました。
バブル崩壊後は仕事がガクンと来なくなりました。それでも、設備のリース料は支払わなければなりませんし、人件費もかかり続けます。借金はどんどん膨らんでいきました。

銀行に融資の相談に行くときは、当然、今後の経営計画の説明を求められます。目先でできることは、リストラしかありません。
「これだけの人員削減をします」
そうやって計画を示して銀行との交渉に臨み、融資を受けながらリストラを進めていくことになりました。

その後、90年代末から2000年代初頭にかけて、今度は「ITバブル」がやってきました。景気が上向くと、それにともなって受注量は回復していきました。2000年頃には、業績はある程度は好調に推移していたといっていいと思います。
そして2002年、私は新しいワイヤーカット加工機を2台同時に入れるという決断をしました。それまでは1台ずつ慎重に入れてきていたのですが、販売元からの「まとめて導入すれば大幅な値引きできる」という提案もあり、思い切って2台入れることにしたわけです。
しかしその直後、ITバブルは崩壊しました。

そして2008年、リーマン・ショックが襲います。仕事は激減し吉原精工は3度目の倒産危機を迎えました。それまでリストラを何度も実施し、辛く嫌な思いをたくさんしてきましたから、私はもうリストラはしたくありませんでした。そこで、「ここはみんなで一緒に耐えていこう」と社員に話し、私自身も含め、全員が月給30万円、ボーナスはゼロということにしました。

ちなみに、この減給は銀行からは非常によい評価を受けました。それは、社長も同じ待遇にしたからです。一般には、社員の給料は減らしても、自分の報酬はそのままにしてノホホンとしている経営者が多いのだそうです。しかし、私にはそのような考えはありませんでした。

実は、この「全員一律月給30万円」が、働き方改革を推し進めるきっかけになりました。
社員から、「お金がないなら、時間をください」と言われたのです。
これはつまり、「もっと早く帰りたい」ということです。

社員からの要望について、私はしばらく考えを巡らせました。昇給もなし、ボーナスもなしという状況で、社員が「だったら時間をくれ」というのは、しごくもっともなことだと思えました。そもそも、私自身が仕事を長くやるのは好きではありません。社長として、いつも社員が全員退社してから帰っていましたから、社員が定時で退社するなら自分も早く帰れるわけです。

「よし、やってみよう」
こうして、ついに吉原精工は「残業ゼロ」の会社になりました。