大正2(1913)年の創刊から現代まで、その時代の政治経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーには、日本経済の埋もれた近現代史が描かれている。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』をさかのぼりながら紐解き、日本経済史を逆引きしていく。

東日本大震災後の今と重なる
1920年代金融恐慌下の日本

 この逆引き日本経済史も「経済雑誌ダイヤモンド」創刊の1913(大正2)年に近づいてきた。

 第1次大戦後の反動不況下、関東大震災(1923年9月)の発生で首都圏は壊滅的な被害を受けた。決済の滞った企業を救済するため、政府は支払猶予令(モラトリアム)を発令し、日本銀行に手形を持ち込めば日銀が再割引することにした。これを震災手形という。日銀震災手形割引損失補償令を根拠とする。

 ところが震災手形に第1次大戦バブル崩壊時の不良債権が膨大に紛れ込み、これが1927(昭和2)年の金融恐慌を招いたことは前回述べた。

 当時(金融恐慌から昭和恐慌時)の苦境の記録を読むと、現在の日本がちらつくのである。

 2011年は貿易赤字になり、強大だと思われた日本のエレクトロニクス・メーカーは巨額の赤字を計上している。少子高齢化は進み、年金の行く末は不透明だ。政界は混乱し、日本全体が不確実性に支配されている。

 震災の復興は進むとしても、福島原発事故の影響は大きく、そして長く続く。綱渡りの状況の行く末を思うと気が重くなる。「冷温停止」などと政府はごまかしているが、運転しているわけでもない原子炉の「停止」なんて定義上おかしい。すでに溶融している核燃料を水で冷やしているだけである。解決には長い歳月を必要とするだろう。毎日、悪夢をみているようだ。

「ダイヤモンド」創刊時の状況まで逆引きする前に、歴史上もっとも苦境に陥った戦時下の「ダイヤモンド」を探してみた。今回は連載最後の1つ前、この最悪の状況をつづった「ダイヤモンド」を読んでみる。