たとえば、こんなエピソードがある。
★ピカソはなぜ小切手を使ったのか
生前のピカソは、日常生活の少額の支払いであっても、好んで小切手を使ったという。
なぜか?実は、次のようなカラクリがあったのだ。
まずピカソは、当時から有名であった。その彼が買い物の際に小切手を使えば、それをもらった商店主は、小切手をどのように扱うだろうか?ピカソは次のように考えた。商店主は、小切手を銀行に持ち込んで現金に換えてしまうよりも、ピカソの直筆サイン入りの作品として部屋に飾るなり、大事にタンスにしまっておくだろう。そうなれば、小切手は換金されないため、ピカソは現金を支払うことなく、実質的にタダで買い物を済ませることができる。
ピカソは、自分の名声をいかに上げるか、のみならず、それをどうやってより多くのお金に換えるか、という点についても熟知していたのだろう。これは現代の金融でいえば、信用創造、“キャピタライズ”の考え方である。
★ピカソはなぜ、ワインのラベルをタダで描いたのか
シャトー=ムートン=ロートシルトというフランス・ボルドー地方にある有名シャトーのワインがある。この1本5万円は下らない高級ワインの1973年モノのラベルは、ピカソがデザインしている。そして、その対価は、お金でなくワインで支払われた。ピカソの描いたラベルの評判が高ければ高いほど、ワインの価値は高まり高値がつく。ピカソがそのワインをもらえば、自分で飲むにしろ売るにしろ、価値が高いほうがいいに決まっている。双方に利益のある話である。
ちなみに、シャトー名のロートシルトは、英語の発音ではロスチャイルド。言わずと知れた、ユダヤ金融の頂点に君臨する一族である。ピカソだけでなく、その年ごとに異なる有名アーティストにラベルをデザインしてもらうアイデアを思いついたシャトーのオーナー、フィリップ・ド・ロッチルド男爵(ロッチルドは、ロスチャイルドのフランス語読み)もまた、お金の本質を知っていた。
彼らは解っていたのだ。信頼関係の土台があれば、お金を介さなくても双方の価値を交換することができる。むしろ、お金という数値では、表現しきれない生の価値を伝えられる。経済は必ずしもお金という媒介を必要とはしない。お金の達人は、究極的には、お金を使う必要がないのだ。
生前、ピカソは言ったそうだ。
「私は、対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ」。
僕たちは、お金の正体を知らなければならない。そうでなければ、僕たちは自分の人生を自由に創造し、幸せに暮らすことがますます難しくなるだろう。