「好き」で生計を立て、自由に生きるために今最も必要なものとは何か。『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』の著者・山口揚平さんと、『僕らの時代のライフデザイン』の著者・米田智彦さんが語り合う、僕らがもっと自由に、もっと豊かに生きるためのソーシャルキャピタルとは。
お金で買えない価値を生む“聖域”が
日本全国に続々と出現中
米田:僕が最近強く思うのは、お金がなくても信用だけで生きていける人が本当にけっこうたくさんいるんだな、ということ。信用によってお金以外の価値を直接交換することで豊かさとかハッピー、生きがいなどを感じられるんですよね。
そこに気づいた人が出てきたことが、ここ数年の一番の変化なんじゃないかな。そんなバカなと思う人も多いかもしれないけど、それはここ数十年の都市だけの常識で、日本は昔から貨幣以外の価値、信用が生む価値というのが生活にも商売にも深く関わっていたわけです。
山口:確かにそうですね。たとえば田舎に移住した友人を訪ねていくと、地元の人だけが知るうまい米とかうまい酒が出てくる。でもそれって、関係性や信頼がないと不可能なことじゃないですか。要するに、そういうものは金で買えない。そういう生活を毎日送っている彼らに接すると、大してお金は持っていないかもしれないけれど、全体の価値と信頼の総量、つまり可視化されていない豊かさの総量は十分に大きいなと思いますね。
米田:それがお金だけじゃないキャピタルなんですよね、きっと。言葉にすると、ソーシャル・キャピタルということになるんでしょうけど。
山口:そう思います。価値と価値を交換するという贈与経済の本質的な意味は、何かをあげて何かをもらうと、文脈が途切れず「流れる」ということなんですよ。そしてさらにまた、それを誰かにあげようとする。それが延々と続いていくんです。
米田:確かにお歳暮とかでもそうですけど、何かを贈るとお返ししなきゃいけないと思いますもんね。流しそうめんみたいに1回流れができれば、「贈り、贈られる」という関係性がずっと続いていく。その分、ご縁が深まるわけです。それって経済そのものですよね。
山口:本当にそう思います。僕は昨年12月、フェイスブック上に「Gift」というサービスを立ち上げたんですが、これは友だち同士で自由にモノや知識をシェアしたり、使わなくなったものを無償であげたり貸したりできるというもの。
たとえば引っ越しのときに要らなくなったベッドを“出品”すると、それを欲しいという人から連絡がくるんです。そこで繰り広げられるやり取りが、すごく面白いんですよね。ちなみに僕は自宅の空いている部屋も無償で貸し出しています。ちょうど今、ベルギーから友だちが来て、泊まっていますよ(笑)。
米田:ぼくも2011年1月から1年間、家もオフォスも持たずにトランク1つで東京を旅するように暮らす「ノマド・トーキョー」という生活実験型プロジェクトをやったとき、自分の持っているものを何かあげる代わりに、その人の家に3泊4日させてもらったりしましたね。
お金を払って泊まるんだったら簡単なんです。でもそれじゃ結局、その人と仲良くなれないまま、お金の関係だけで終わってしまう。お金を使わずに初めて会った人のところに泊まり、コミュニケーションをとりながらどうやって今までゼロだった関係を一夜にして築くか、というところに面白さがあったんです。
山口:お金で何かを買うとそこで文脈が断絶するけれど、価値を交換することで関係が強まり、深まるんですよね。
米田:フィールドワークを通して、資本主義が入り込めない、お金で買えない価値みたいなものを生み出す場所、つまりアジール(聖域)みたいなものが日本中にポコポコ同時多発的に登場しているなと気づきました。その価値というのは、資本主義の論理からすると全然儲かってないし、むしろ貧困化じゃないかとか、甘いとか青臭いっていう論で片づけられるのかもしれないけど、僕はそこにすごく魅力を感じていて。もしかしたら今の20代とか若い世代が、そこで新しくブレークスルーする可能性があるんじゃないかなと期待しているんです。
そのためにも、これから実践のなかで、みんなで試行錯誤を重ねていく必要があると思いますね。ここ数十年で隣の家から僕らは醤油も借りられない極端な貨幣でしかすべてを交換できない生活を送って来たわけだけど、少しそういう部分に戻っていくような気もしています。