この9月、2回中国に出張した。1回目は8月末から9月上旬にかけてのシルクロード走破だった。2回目は世界に暮らす上海籍華僑関連の会議に出るためだった。その2回の出張で、期せずして日中交流の点と線を辿り、つい最近まで中国を席巻していた日本のソフトパワーの嵐を再体験した。
若き日の論文のテーマ・井上靖
1回目の出張では、甘粛省の省都である蘭州市を起点に、武威、金昌、張掖、酒泉、嘉峪関、敦煌、陽関、雅丹、玉門関の順で河西回廊に沿ってシルクロードの主要径路を走ってみた。古代のロマンに浸り、東西文明を結ぶ通商の道という歴史の意義を噛みしめながら、今日の経済発展を確認した。その旅の見聞と点描については、「久々のシルクロード2000キロ走破紀行」をご参照されたい。
河西回廊に点在するオアシスを訪れるような旅だったが、その訪問の先々で、地元の関係者のあいさつや雑談に必ずといっていいほど出てくる日本人の名前がある。井上靖さんだ。『敦煌』『楼蘭』『蒼き狼』など一連の西域小説で、井上さんが歴史の香りに満ちたシルクロードのロマンを日本中に浸透させた。1991年に亡くなってからすでに二十数年もの歳月が流れ去ったにもかかわらず、シルクロードの人々は今でも尊敬の念を抱いて井上さんを語り続けている。それも日本のソフトパワーの一つと認識していいだろう。
旅先で井上さんの話が出る度に、私も何とも言えない感動と誇りを覚えた。1978年、改革・開放時代の幕開けがもう目の前にまで来ていたとき、吉林省長春市で中国初の日本文学研究会議が開かれた。上海外国語大学(当時は上海外国語学院)からは、私とのちに上海外大の副学長になった譚晶華さんがそれぞれ自分の論文を携えてその会議に出席した。譚さんの論文はノーベル文学賞を受賞した川端康成さんとその文学を論じるものだったが、私は井上靖さんとその文学を取り上げた。論文の中では、『敦煌』『楼蘭』などに代表される西域小説に大きく焦点を当てていた。