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戦略は歴史から学べ
【番外編第7回】 2016年8月25日
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鈴木 博毅

なぜコンビニはスーパーに勝てたのか?
小が大に勝つゲリラ戦「勝利の方程式」

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アフガン戦争で、ゲリラ軍は大国ソ連に対して、有利な戦闘だけ選び、不利な戦いは徹底して避けるという戦い方をした。これは、ゲリラ戦の勝利の方程式だった。一方、ゲリラ戦にも課題はあり、その戦い方を常に進化させる必要がある。好評発売中の『戦略は歴史から学べ』の著者が、新たに書き下ろす「番外編」シリーズ第7回。

ベトナム戦争で泥沼の戦闘を強いられた米軍は1973年に撤退。今度はジャングルの湿地帯ではなく、標高3000メートルの山岳地帯で大国が国際紛争を仕掛けた。もう一つの超大国、ソ連の近代装備軍が中東のアフガニスタンに侵攻する――。

変わりゆく世界と、指導者の世代交代

 若く聡明なケネディ大統領は、就任した1961年1月から死去する63年11月までの約3年間に、国内の人種差別問題、キューバとの紛争、東西ドイツを巡るベルリン危機など多方面の難題に対処しました。ケネディが予算を通過させた宇宙開発のアポロ計画は、1969年に人類初の月面着陸として結実します。

 しかし軍事顧問の派遣をしたベトナム戦争は、次第に戦線が拡大、彼の死後はジョンソン大統領に引き継がれて20万人のアメリカ兵が戦死します。73年の撤兵後、米軍の支援がなくなった南ベトナムは2年で陥落し、南北の統一が成し遂げられます。

 ソ連の指導者はフルシチョフから1964年にブレジネフに変わり、中国共産党とソ連は政策方針の違いで対立を始めます。統一を終えたベトナムが、79年に内陸で接していたカンボジアへ侵攻して親ベトナム政権を樹立。

 中国が支援していたポル・ポト独裁政権が崩壊したことで、中国は1972年2月に50万人以上の兵力でベトナム国境へ侵入。しかし世界最強の米軍と戦ったベトナム軍は中国軍に大打撃を与えます。

 毛沢東の文化大革命(60年代後半~70年代半ば)で大量の粛清が行われて、中国軍はかつての戦闘指導力を失っていたこともあり、1ヵ月あまりで撤退します。

アフガニスタンで共産政権が成立、抵抗運動とソ連の軍事介入へ

 アフガニスタンは、1973年に元首相ダウドによるクーデターで王政から共和制に移行。その後、ソ連が共産主義勢力をアフガニスタン国内に育て、1978年に共産主義政党のクーデターでアフガニスタン人民民主党の政権が樹立されます。

 人民民主党のクーデターは陸軍の兵士が戦車大砲で政府施設を襲撃することで始まり、大統領一家を含めた政権関係者の多くが死亡する凄惨なものとなりました。

 その後ソ連派と民族派が争い、一時的に民族派の人物が大統領となるも、1979年12月27日、ソ連軍の大部隊が首都カブールを占拠。アミン大統領がいたダルラマン宮殿は10倍近いソ連軍に包囲され、親衛隊を含めた全員が死亡。ソ連は亡命していたカルマルを大統領にして傀儡政権を作り上げ、以降10年間の戦争が始まります。

【アフガン戦争で激突した2つの力】
(1)アフガニスタン政府軍(とソ連軍)
(2)反政府イスラム・ゲリラ組織


 当初はベトナム戦争の米軍と同じように、ソ連軍は軍事顧問として活動しましたが、傀儡政府軍からは正規兵の脱走が相次ぎ(彼らの一部はゲリラとなった)、不安定な政権に忠誠心もなく、やがてソ連軍がゲリラとの戦闘の矢面に立つことになります。

 アフガニスタンは国土の85~90%が山岳であり、南部と中央に砂漠が広がります。他民族の侵略を受け続けた歴史から、男たちが武装することが習慣となっています。

「多少でも財産がある家に生まれた少年は12~13歳から射撃を習い、18歳になればボルトアクション式のライフル銃を手に入れる」(『わかりやすいアフガニスタン戦争』P44)

 1980年は、ゲリラ側は所有する兵器と人数の多さを頼みに郊外の平野で戦闘をおこないますが、近代装備と航空機、重火器を持つソ連軍に大敗してしまいます。

 しかし直後から85年まで、書籍『アフガン侵攻』(P175)が第2段階と呼ぶ時期が訪れます。ゲリラは奇襲、待ち伏せ、ブービートラップ(偽装爆弾)など古典的なゲリラ戦術に立ち戻り、祖国の険しい地形を最大限活用した戦闘を繰り広げたのです。

 1980年から85年までは、ソ連兵の戦死者がもっとも多く、9175名(1ヵ月平均148名)が死亡しています。

 第3段階では、ソ連軍は砲撃・航空攻撃を強化してゲリラの武器・弾薬補給の阻止に集中。しかし戦死者はそれほど減らず1ヵ月平均137名が戦死しました。

 第4段階では、ソ連軍は安全なソ連本土から長距離爆撃機を発進させ、敵拠点を爆撃する作戦を積極的に展開。1ヵ月の戦死者は87名となります。

 ソ連軍は、大型戦闘ヘリのハインド(ミルMi24)で山岳の機動作戦も展開しますが、85年にはハインドの最新D型が政府軍パイロットのパキスタン亡命で鹵獲され、西側の徹底的な調査を受けます。

 その結果アメリカが小型対空ミサイル「スティンガー」を開発。過去のミサイルの10倍の命中精度を誇り、ゲリラはソ連軍の武装ヘリを怖れなくなり、軍用・民間航空機が多数撃墜されたことも、ソ連軍の撤退につながりました。

ゲリラは局所優位のある場所だけで戦い、あとは逃げる

 アフガン戦争の初期こそ、ゲリラ勢力は平地に集合する形で戦いましたが、最新装備のソ連軍に大敗してからは、古典的なゲリラ戦の方程式に沿った戦い方を選んでいます。

 では、ゲリラ戦の方程式とはなにか?不利な戦場では戦わず、蜘蛛の子を散らすように逃げることです。

 ベトナム戦争でも、米軍に囲まれた農村のゲリラは村を死守するのではなく、暗闇に紛れてみんな逃げてしまいました。その上で、米軍が小休止している夜間を狙って攻撃を仕掛けてきたのです。

 アフガニスタンでも、ゲリラ側は1年目の戦闘以外は山岳地帯や渓谷での待ち伏せ、奇襲、地雷、夜間の戦闘など、局所的に自分たちが有利な戦闘のみに終始しました。

 さらにゲリラの局所優位を決定づけたのは、やはりスティンガーミサイルです。

 「山々の頂上、あるいは中腹から眼下を飛ぶヘリコプターに向け発射されたスティンガーは、百発百中の命中率を示した」(『わかりやすいアフガニスタン戦争』P152)

 ある条件なら、狙いがほぼ100%命中する。これは、まさに局所優位です。大型戦闘ヘリを小型対空ミサイルで撃ち落とせることは、圧倒的な低コストの脅威があります。このような局所的な強みを持つビジネスや企業が、現在では増えています。

 例えばコンビニエンス・ストアは典型的な局所優位です。半径500メートルから1キロの範囲で、こまごまとした消費者のニーズを全て取り込む一方、大型店のような品揃えや生鮮食品、なにより「安売りの価格競争」などから完全に逃げています。

 さらに、新商品を展開する場合、すでに店舗ネットワークが完成されていることで、新規に販売網を作ることに比べて、極めて低コストで導入が可能です。

 ゲリラ的ビジネスとしてユニークな事例では、人力車のサービスを展開する会社があります。人力車と言えば、明治までの乗り物だと私たちはイメージしますが、多くの人が集まる歴史的な観光地では今でも大変喜ばれるサービスです。その企業は直営とFCで全国の歴史的な観光地の数ヵ所にだけ、店舗を開いて運営しており、立地を局所優位で決めていることがわかります。

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