社風や職種にも左右されるだろうが、遠慮なく笑い合える職場がある一方で、ちょっとした雑談さえ憚られる環境もある。時と場合を選ばずに大声で笑ったり、他人を貶めるような話題で笑いを強制したりするのは迷惑だが、さまざまな実証研究により「笑う」という行為そのものが大きなメリットを生むことが証明されている。


 投資家を集めた現地視察ツアーで欧州を回っている最中、忙しい一日の締めくくりに、素敵なレストランで上司と食事した。上司が面白い話をしたので、私はいつものように反応した。天井を仰ぎながら、腹の底から大きな声で笑ったのだ。周囲は驚き、振り向いて私たちをジロジロ見ていた。

 赤面する上司に、私の笑い声は恥ずかしかったでしょうかと尋ねると、上司は「ちょっと声が大きかったかな」と、ヒソヒソ声で答えた。

 その日の夜、私は自分を責めた。横になって目を見開いたまま、それまでの仕事人生で自分の笑い声がどれほど気まずい状況を生んできたか、思いを巡らせたのだ。

 笑いを押し殺すべきなのか。エグゼクティブの地位を返上し、営業部員に戻るべきだろうか。それなら、部内そのものが陽気な雰囲気だ。それとも、新しい職につくべきだろうか。

 夜が明けるころ、私は結論を導き出した。私は笑うのが好きだ。笑うことはやめず、いまの仕事もやめない。本来の自分らしくいようと決めたのである。

 この決断は、プラスの結果につながった。自分の笑い方を意識するようになってから、それが周囲にどんな影響を与えているか、注意を向けるようになった。

 そこで発見したのは、私の笑いが昇進の妨げにはならない、ということだった。むしろ、私の個性として認識されるようになったのである。休暇から戻ると、職場の同僚は皆、私の笑い声が恋しかったと口をそろえた。

 実際、私の職場は笑いを必要としていた。笑いを抑制しないという決断は、皆の役に立ったのである。皆が日々、笑うのを楽しみにするようになった。