医師の労働環境は極めて過酷であり、研修医時代から相当な負荷が強いられる。そうしたなか、長時間労働による医師の心身の健康や患者の安全を懸念が高まったことで、米国では研修医の勤務時間は週最大80時間までと制限された。この規制に対して、研修医の成長を阻害するという反発の声も上がっているのだが、研修時間の長さと患者のアウトカム(治療成果)は比例するのだろうか。


 医師になることは、昔から簡単ではない。米国では、大学で4年、その後に医科大学で4年、そして専門分野によって3年かそれ以上の研修が必要となる。研修期間中の医師は日常的に、週最大80時間働く。

 意外かもしれないが、これは実は、医師になるのが昔よりも簡単になっているということだ。少なくとも、労働時間の面ではそういえる。たとえば1980年代の研修医は、週100時間以上働くことがあり、病院での勤務シフトは連続30時間以上にも及ぶことが頻繁にあった。

 労働時間がこれほど過酷であった背景には、多くの医療従事者が持っていた一つの考え方がある。長時間勤務は、医師として独立するための診療スキルを身につけさせるうえで必要な通過儀礼とされていたのだ。

 しかし2003年、医師の疲弊と患者の安全をめぐる懸念が高まりゆくなか、重要な改革法が施行された。研修医の勤務が週80時間を超えることを禁じ、連続勤務の上限を24時間に制限するものである。

 これらの改革は、近現代の医療研修の歴史において、最大規模の自然実験であったといえる。ところが、この規制は激しい論争の的となった。

 病院勤務が週に10~20時間多ければ、その分よりよく訓練された医師が生まれると、多くの医療従事者が信じるのはなぜか。その理由を想像するのは難しいかもしれない。だが多くの医師にとって、2003年の改革法は、次のような懸念を招くものだった。

 シフト勤務に伴うメンタリティのせいで、医療研修の質が落ちる。プロ意識が低下する。刻一刻と変わる重症疾患の進行を、研修医は直接目にすることができなくなる。これらが原因で研修医は、将来の治療判断の基盤となる経験を十分に培えないかもしれない。そして、実際の診療現場で必要となる長時間勤務および患者との深い関わりに、十分備えることができないおそれがある――。こうした事態が懸念されたのだ。

 2009年、ある医師は『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』誌に、こう寄稿している。2003年の改革法の結果、「我々はいまや研修医に対し、彼らが深く治療に関わっている患者から離れること、あるいは教育上有益な手術の観察を途中でやめることを余儀なくさせている。この制度によって研修医は間もなく、交代時間が来れば立ち去るか、さもなければルールを破るために嘘をつくようになった」

 手術についても似たような懸念が高まった。勤務時間の削減によって、外科研修医の手術件数が減ってしまうというものだ。最近のある記事は、外科医のこんな指摘を載せている。「私の研修医時代には、是非はともかくとして、週120時間ほど働いていました。それが当然のように期待されていたんです。今日では、一般的な研修医は、修了までに約900件の術例を経験します。私の頃は、その2倍でしたよ」

 長時間勤務に対する医師の思い入れは、昔よりは軟化しているのは間違いない。とはいえ多くの医師、特に勤務時間の規制がない時代に研修医だった人たちは、いまだに疑問を抱いている。今日の医師は、はたして自分たちと同等に訓練されているのだろうか、と。