Photo:123RF

度重なる増刷が続く入山章栄氏の最新刊『世界標準の経営理論』。約30ある理論を掲載した800ページを超える大作であるが、各章ごとに完結しているため、本書は初めから読む必要がないのも大きな特徴だ。

そこで本書から、いま日本企業に最も人気の高い理論の一つである「知の探索・知の深化の理論」を4回にわたっては紹介する。イノベーションを起こすうえで、著者の入山氏は「両効き」こそがの経営の本質と解くがその意味とは。第1回はイノベーションの土台となる「組織学習の循環プロセス」に迫る。

「イノベーション」は、広義の組織学習

 入山章栄(いりやま・あきえ)
早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授
慶応義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。 三菱総合研究所で主に自動車メーカー・国内外政府機関への調査・コンサルティング業務に従事した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。 2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。Strategic Management Journal, Journal of International Business Studiesなど国際的な主要経営学術誌に論文を発表している。 著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)、『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(日経BP社)がある。
(Photo:Aiko Suzuki)

 本章から第15章まで、イノベーションと組織学習に関する理論を紹介していく。イノベーション・組織学習の理論の多くは、認知心理学に基礎をおく。したがって、前章で解説したハーバート・サイモン、ジェームズ・マーチ、リチャード・サイアートを中心とした「カーネギー学派」の影響が大きく、そこからイノベーション・組織学習について、様々な理論が派生し、発展しているのだ。

 ところで本書では、「イノベーション」と「組織学習」という言葉をそれぞれ使っているが、それは便宜上のことだ。そもそも経営学では、イノベーションは広義の「組織学習」の一部といえる。イノベーションも組織学習も、「何かを経験することで学習し、新しい知を得て、それを成果として反映させる」という意味では、本質は変わらない。要は程度論である。学習の結果、新しく得られた知の成果が極めて革新的なら、それが「イノベーション」と呼ばれるだけのことである。逆に「改善」のような小さな前進を実現するなら、それを組織学習と呼ぶにすぎない。

 実際、本章で解説する「知の探索・知の深化の理論」を切り開き、その後のイノベーション研究に多大な影響を与えたジェームズ・マーチの1991年のエポックメーキングな論文も、そのタイトルは“Exploration and exploitation in organizational learning”(組織学習における知の探索と知の深化)であり、マーチは同論文を「組織学習」の論文と位置付けていたといえる(※1)。この論文で、イノベーションという言葉はほとんど出てこない。後世の研究者が、この理論が特に革新的な知の成果(=イノベーション)を生み出すメカニズムの説明に有用とみなしているだけである。

組織学習のキーワードは、「経験」と「組織の知の変化」

 ではイノベーションが広義の組織学習の一部だとして、組織学習自体はどう定義されるのだろうか。組織学習研究の世界的権威であるカーネギーメロン大学のリンダ・アルゴーティが2011年に『オーガニゼーション・サイエンス』に発表した論文で、以下のように定義している(※2)

 Most researchers would agree with defining organizational learning as a change in the organization’s knowledge that occurs as a function of experience. (Argote, 2011, p.1124.)

 組織学習とは「経験の関数」として生じる「組織の知の変化」と定義できることに、ほとんどの研究者は賛同するだろう。(筆者訳)

 このように、組織学習のキーワードは「経験」(experience)であり、「組織の知の変化」(change in the organization’s knowledge)である。この定義に当てはめれば、イノベーションも後で解説する「知の探索」という経験を通して、新しい知を生み出す(=組織の知を変化させる)ととらえられるから、やはり組織学習の一種といえるだろう。

 組織学習・イノベーションについては、あまりにも膨大な研究蓄積がある。しかし、その基本的な「骨組み」については、学者間でほぼコンセンサスが取れている。本章では、知の探索・知の深化の理論の解説に入る前に、世界の経営学における組織学習の骨組みを示しておこう。

組織学習の循環プロセス

 図表1は、先のアルゴーティの2011年論文に掲載されている図を、筆者が簡略化・修正したものだ。同論文でのこの図表のタイトルは、まさに“A Theore-tical Framework for Analyzing Organizational Learning”(組織学習を分析するための理論的枠組み)である。現代経営学における、組織学習の大きな骨組みをまとめた図といえる(※3)

(図表1)拡大画像表示

 この図は全体を読み解く上で重要なので、ぜひ確認いただきたい。図にあるように、経営学では組織学習を一連の循環プロセスとしてとらえる。この循環プロセスは、「組織・人・ツール」「経験」「知」という3つの要素で構成され(※4・※5)、各要素をつなぐ3つのサブプロセスに分解できる。サブプロセスは、以下のようなものだ。

サブプロセス(1)組織・人・ツール→経験

 組織・人は何らかの意図を持って行動する。行動した結果、「経験」するのだ。

 前章で紹介した「サーチ」や、本章で解説する「知の探索」は、サブプロセス(1)に当てはまる。認知心理学ディシプリンは、組織・人の「限定された合理性」を前提とする。組織は限られた認知を広げる経験をするために、サーチや知の探索を行う。

サブプロセス(2)経験→知

 組織はその経験を通じて、新たな知を獲得する。知の獲得には大きく3つのルートがある。

・知の創造(knowledge creation)

組織は、経験を通じて新しく知を生み出す。例えば、経験で得た知と、自身がすでに持っている既存知を組み合わせ、新しい知を生み出す。これが、後で紹介するジョセフ・シュンペーターの新結合(new combination)である。加えて、その知の創造のダイナミックなプロセスを精緻に描いたのが、一橋大学名誉教授・野中郁次郎のSECIモデルである。SECIモデルは、第15章で詳しく解説する。

・知の移転(knowledge transfer)

人・組織はみずから知を生み出さなくとも、外部から知を手に入れることができる。例えば、技術提携という「経験」を通じて、他企業の技術が自社に移転されるのがその一例だ。海外に進出した企業が、現地の合弁パートナーとのビジネス経験を通じて、現地の顧客・商慣習の情報や、政府へのアクセス情報を手に入れるのも知の移転だ。

・代理経験(vicarious learning)

新しい知の獲得は、組織自身の経験だけから得られるとは限らない。例えば同業他社など、「他者の経験」を観察することから学ぶこともできる。いわゆる「人の振り見て我が振り直せ」である。これは、他者が(自身に代わって)経験をしてくれているという意味で、「代理経験」と呼ばれる。

サブプロセス(3) 知→主体

 サブプロセス(3)を総称して、組織の記憶(organizational memory)と呼ぶ。新しく生み出された知は、何らかの形で組織に記憶されなければならない。記憶されなければ学習したことにはならず、前進はないからだ。この組織の記憶プロセスは、さらに2つに分解されて議論されることが多い。それは知の保存(retention)と知の引き出し(retrieval)だ。

 保存とはその名の通り、組織に知を保存させることだ。これも様々な手段がある。知はもちろん組織メンバーの頭脳に保存されるし、あるいは書面、様々なITツール、製品・サービスそのものなどにも保存される。加えて、経営学で特に重視されるのが、第16章で解説する「認知心理学ベースの進化理論」である。一方で記憶された知は、必要に応じて引き出される必要がある。このメカニズムを描くのが、第14章で解説するトランザクティブ・メモリー・システムなどになる。

※1)_March, J. G. 1991. “Exploration and Exploitation in Organizational Learning,”Organization science, Vol.2, pp.71-81.

※2)_Argote,L. & Miron-Spektor,E. 2011.“Organizational Learning: From Experience to Knowledge,” Organization Science, Vol22, pp.1123-1137.

※3)_組織学習を一連のプロセスとして論じて、経営学者に頻繁に引用されるのは、テキサス大学オースティン校のジョージ・フーバーが1991年に発表したHuber,G.P. 1991. “Organizational Learning: The Contributing Processes and the Literatures,” Organization Science, Vol.2, pp.88-115.である。アルゴーティの組織学習の循環プロセスの方がより包括的なのでここではこちらを紹介したが、関心のある方はフーバーの論文も併せて参照していただきたい。

※4)_ツールとは、ビジネスで使う様々な「道具」のこと。コンピュータや、ITシステム、ノート、工場の設備などは、すべてツールである。例えばITシステムには様々な知が詰められ、また企業が学習することでアップデートされるので、そういう意味では重要な組織学習上のツールになりうる。

※5)_実際のアルゴーティの論文では、それぞれ “active context, members, tools,” “task performance experience,” “knowledge”と表現されている。