日本を覆う「閉塞感」への危惧

佐藤 2021年9月にデジタル庁が設立され、1年半がたちました。立ち上げをけん引し、初代大臣を務められた平井卓也先生としては、日本社会のデジタル化の現状についてどう認識されていますか。私たちも世界中に快適なインターネット環境を提供している企業ですから、ぜひご意見をお伺いしたいです。

平井 そもそも私がデジタル庁の設立を推し進めたのは、「日本を覆う閉塞感を何とかしたい」という問題意識からでした。この閉塞感は日本の競争力と成長力の低下が最も大きな要因ではないでしょうか。数字を見てもIMD(国際経営開発研究所)の世界競争力調査で2022年は63カ国・地域中34位。アジア太平洋地域でも10位で、タイやマレーシアの後塵を拝しています。

戦後、日本は世界第2位の経済大国になりましたが、デジタル化とインターネットが社会に与えるインパクトを甘く見てしまい、そのために後れを取ってしまったのではないかと思います。

初代デジタル大臣・平井卓也氏が直言。日本の競争力復活のカギ、「誰一人取り残されないデジタル化」を実現するには平井卓也 衆議院議員
自由民主党所属。香川1区、連続当選8回。 初代デジタル大臣、IT・科学技術担当大臣、内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、宇宙政策)などを歴任。

佐藤 インターネットが日本に上陸したのは1980年代後半、その後2008年頃にスマートフォンが登場し、急速に普及しました。

平井 テクノロジーの変化に合わせてビジネスモデルの変革に取り組んだ企業は大きく成長しましたが、日本企業はその波になかなか乗れなかった。米国では、成長著しい企業がたくさん誕生しましたね。例えばDVDのレンタルサービスを始めた企業が、今や世界中で動画配信プラットフォームとして大成功を収めたのがいい例です。

佐藤 確かにそうですね。私たちCloudflareも、スパムメール追跡プログラムの開発をきっかけに2010年に設立され、インターネットの発展とともに事業を拡大してきました。今は、この日本を含めて世界中にサービスを提供しております。

平井 ビジネスモデルの変革は大事だという良い例ですね。日本は企業だけでなく行政も、インターネットの波に乗り遅れてしまい、2001年になってIT基本法が施行され、光ファイバーなどのインフラ整備は進められましたが、目指すべき社会像は明確ではありませんでした。また、国と地方を合わせて毎年1兆5000億円程度のシステム投資をしてきましたが、世界に比べて進んでいるとは言い難いのが現状です。

佐藤 日本のデジタル化が遅れてしまったのは、なぜだと思われますか。

平井 それは供給側の発想で作られたシステムばかりで、ユーザー目線が全くなかったからでしょう。私がデジタル庁の発足を目指した大きな理由の一つはそこにあります。つまり、ユーザー目線のデジタル政策を実現したかったのです。

供給側の論理で作ったものは、国民の支持を得られないし、進化もしない。デジタル庁ではその反省を踏まえて、常にユーザー目線で、しかも新しいことにチャレンジしていくべきと考えました。他者の後追いではダメなのです。

デジタル庁のスローガンを「Government as a Startup」にしたのは、単なる業務遂行のための役所ではなく、新しいことに挑戦していくのだという魂を込めたかったからです。