万博とは、その時代の世界の姿をありのままに見通すレンズである──。そう語るのは、万博を通じて人間や世界の在り方を多角的に探究する「万博学」を提唱してきた京都大学大学院の佐野真由子教授だ。
「万博は、国家が正式に参加する国際社会の公式催事です。同時に、開催に向けてさまざまな調整を重ね、会場を整備し、運営していく具体的な大規模イベントでもあります。各国政府はもちろん、行政、住民、企業、メディア、会場づくりやコンテンツ制作に関わる職人やクリエーターまで、ありとあらゆるアクターが関わって、そのプロセスが記録されていく。これらを丁寧につなぎ合わせていくと、時代の真実が赤裸々に浮かび上がってくるのです」
佐野教授が代表を務める「万博学研究会」では、歴史、政治、経済、建築、美術、音楽など多彩な分野の研究者が、19世紀半ばから今日まで続く万博をさまざまな側面からひもとき、各時代の世界のかたちを考察し続けてきた。
展示から対話へ。175年の歴史と変遷
万博の在り方は、時代とともに大きく変遷してきた。
まず、世界最初の万博とされる1851年の「ロンドン万国博覧会」など黎明期の万博では、「世界を見渡したい」という純粋な好奇心を原動力とした「展示」に主眼があった、と佐野教授は語る。
「遠く離れた地域から集められた産物の網羅的な展示は、まさに世界の縮図でした。とはいえ、当初、万博を開催したのは欧州の数カ国だけ。帝国主義の時代には、国際社会を構成する国家数そのものが少なく、参加国もわずか30カ国ほどでした」
国際社会の広がりとともに開催国や参加国が増えていくが、1928年に「国際博覧会条約」が締結された後も、欧州の先進国が主導するスタイルは基本的に変わっていない。
この構図が大きく変化するのが1960年代だ。
「各地の植民地が独立し、新しい主権国家が次々に生まれたことで、万博も各国が対等に関わることを目指し、より良い未来を模索する場になっていきました。『人類の進歩と調和』をテーマに、史上最多(当時)の77カ国が参加した1970年の大阪万博は、まさにこうした変化の象徴といえます」(佐野教授)
21世紀に入ると、「多様性の尊重」が万博の重要な理念として強調されるようになる。2010年の上海万博(中国)、2020年のドバイ万博〈※〉(アラブ首長国連邦)、さらには、2030年に予定されているリヤド万博(サウジアラビア)など、アジアや中東で初開催国が次々に名乗りを上げ、参加国数も100を大きく超えた。「モノの展示」から「人間同士の対話」へ、万博の役割も大きく変化しつつある。
※ 新型コロナウイルス感染症の影響で、実際は、2021年10月1日〜2022年3月31日開催。
「開催国は6カ月間にわたって世界の国々をホストするという大役を果たします。こうした経験を持つ国が増えることは、国際社会の相互理解と協調を促す上で極めて重要です。今も世界中でさまざまな対立や分断が起きていますが、それでも文化の垣根を越えて国々が集い、希望の灯をともすこと。そこに大きな意味があるのです」
開催中の大阪・関西万博も、いずれ人類史の中に刻み込まれていく。50 年後、100年後の人々は、果たしてどのように評価するだろうか。
充実した企業パビリオンが、多様な未来を可視化する
こうした歴史を踏まえた上で、今回の大阪・関西万博をどんな姿勢で体験すれば良いだろうか。
佐野教授は「158もの国と地域が公式に集まり、自国の文化を全力で紹介してくれていることを、まずは味わってほしい」と話す。「開催前には、インターネットで何でも分かる時代に万博なんてやる意味がない、という声もありました。しかし、多くの万博を見てきた私自身、実際に会場を歩いてみると、展示の内容はもとより、パビリオンの建材一つ、提供されている食べ物一つ、スタッフとのちょっとした会話一つにも驚きと発見がありました。世界には、まだまだ知らないことがある。この事実に、多くの人が圧倒されると思います」
また、ぜひ意識しておきたいのが今回の万博の「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマだ。
「いのちは、世界中の全ての人に関係するテーマです。これを各国・地域がどう解釈し、表現しているか。それらの多様な輝きを感じることは、今の世界を理解する上で、きっと新しい視点をもたらしてくれるのではないでしょうか」
さらに、「国」という枠組みだけでは表現し切れないビジョンの可視化において大きな役割を果たすのが企業パビリオン群だ。テクノロジーやアート、エンターテインメントなどを融合させた体験の数々は、気付きをさらに立体的にしてくれる。
これら多彩なパビリオンを見学した佐野教授は「過去の万博に比べて、香りや音、触り心地や動きなど、五感全てに訴え掛ける工夫がとても多いと感じました」と話す。
オンライン時代だからこそ、リアルな人間同士の出会いや対話の価値が、かつてないほど高まっているのだ。2025年の大阪に、そのための絶好の場が待っている。