2050年、イノベーションによって世界は荒廃しているのか、住みよい場所になっているのか。未来に考えをめぐらすアンソニーは、イノベーションの能力がSNSや広告にばかり向けられてしまう潮流を危惧する。それを回避する2つの方法があるという。


 その絵を見て私は愕然とした。オーストラリアで開催されるイノベーション・カンファレンスを1週間後に控えた、ある日のこと。この会議で私は「イノベーションによって、2050年の世界はいまよりよくなっているか、あるいは悪くなっているか」というテーマの討論会に、悲観派の立場で参加することになっていた。我々参加者は、未来に起きる人為的な結果を象徴する服装をするよう求められていた。手持ちの服ではその要請には応えられないと確信、代わりに我が家の子どもたちに助けを求めることにした。

 子どもたち1人ひとりに「2050年の世界はどうなっていると思うか」をテーマに、絵を描くように頼んだのだ。2歳の息子ハリーは、さまざまに曲がりくねった線を何本も描き、立派に貢献してくれた。どうやらカルマのエネルギー波を表現しているようだ。私にはそのエネルギーがよいものか悪いものか判別できなかったので、もうすぐ6歳になる娘、ホリーの描いた絵に目を向けた。彼女は何本もの花を乗せた1本の矢を描いていた。なるほど、肯定的な見方だ。8歳の息子チャーリーは、2枚の絵を描いてくれた。1枚目は、よろいに身を固めた、アイアンマンとスパイダーマンを足して2で割ったような男の絵で、いかにもありそうなものだった。

 だが、2枚目の絵を見た私はしばし固まった。そこには高い防壁で囲まれた1軒の家が描かれていた。複数の飛行機が頭上を飛び交い、爆弾が空中で爆発している。飛行機のうち1機は、中東・アジア各地で爆弾を投下している無人航空機(ドローン)の類のように見えた。ここに描かれているのは、たしかにイノベーションだ――より厳密にいえば、イノベーションによって引き起こされた荒涼たる世界だった。

 その未来図は、私が息子に抱いていてほしい展望よりもはるかに暗いものだった。そして間違いなく、討論会で悲観的な主張を展開するうえで参考になった。イノベーションはたしかに、制御不能となって暴走する可能性があり、政府やさまざまな組織、そして個人の凶悪なたくらみを実行可能にするおそれがある。

 しかし、テクノロジーが招きうる被害には、これほどあからさまではないものも考えられる。私を心底不安にさせたのは、「ナルシズムや広告への執着」とも呼ぶべき事態がとめどなくエスカレートしてしまう可能性だ。

 世界が抱える大問題には、たとえば次のようなものがある。

・2050年に地球で暮らしている100億人に、どうすれば食料を行き渡らせることができるか。
・気候変動の影響にどう対処していくか。
・ますます拡大する所得格差に対処できるのか。
・ヘルスケアをもっと安価で利用しやすいものにできるか。

 大規模な問題には大規模な解決策が必要だ。そして大企業は、このような難題に対して何らかの貢献を果たしうる。ただし、その取り組みを率いる人材として有能なイノベーターが必要となる。