職場での不正行為は、明らかな悪意があって始まるものではない。むしろ、最初は「ほんの端数を切り上げただけ」といった小さな無分別から始まるという。実験によって、人の倫理観が失われていくプロセスと不正防止の手がかりが示された。『失敗は「そこ」からはじまる』著者ジーノらの提言。

 

 元NASDAQ会長バーナード・マドフの犯罪が明らかになる、何年も前のことだ。マドフのクライアントの秘書が横領で逮捕された時に、彼は自分の秘書にこう言った。「最初はほんのわずかな金額、たぶん数百ドル、数千ドル程度の着服から始まる。それに慣れてしまうと、知らないうちに雪だるま式に増えていて大事に発展するってわけさ」

 そのマドフが起こした巨額詐欺事件も、比較的少額の損失を隠すための虚偽の報告に端を発したことが、いまでは知られている。その規模は15年をかけて徐々に拡大し、ついに650億ドルに膨れ上がった。その間、規制当局も投資家さえも数々の前兆に気づかなかった。

 近年にビジネス界で起きた最大級の不正事件は、その多くが似たような経緯をたどっている。ルパート・マードック率いる英日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」の盗聴スキャンダル、スイスの最大手銀行UBSで起きた未承認のトレーディングによる数十億ドルの損失、エンロンの崩壊、等々――どの事件でも、関係者の倫理観は徐々に損なわれていったのだ。

 バーナード・マドフほど犯罪にどっぷり浸かる人は少ないが、それでもやはり、私たちはだれしも不正への下り坂を滑り落ちる可能性と無縁ではいられない。その始まりはたいてい、些細な無分別だ。職場の備品を家に持ち帰ったり、経費報告で車の走行距離を過大に申告したり、あるいはレストランでの個人的な食事をビジネス関連と偽って申告したりといったことだ。アメリカのフルタイム従業員約1000人を対象に行われたある調査では、回答者の4分の3近くが「過去1年に同僚の非倫理的行為または違法行為を目撃した」と報告している(英語報告書)。

「地獄への最も確実な道は、緩やかに続く道である。それはなだらかな下り坂で、地面は柔らかで歩きやすく、急な曲がり角もなく、一里塚も標識もない」――C・S・ルイスは『悪魔の手紙』の中でこう記した。そして我々の研究は、ルイスの洞察と事例証拠の両方を裏付けている。つまり人は不正行為に手を染める時、往々にして些細な逸脱がきっかけとなり、やがて滑りやすい坂道をズルズルと落ちていくのだ。

 我々(本記事筆者のうちの2人、ウェルシュとオルドネス)のチームの研究によって、次のことが明らかとなった。非倫理的に振る舞う機会が段階的に増えていく状況に置かれた人は、突然そのような機会に直面した人に比べ、不正行為を正当化する傾向がはるかに強い(英語論文)。我々は実験前に次のように予測した。被験者に3回の課題を与え、初回に不正をするよう仕向けることができれば、彼らは次のタスクではもう少し多くの不正を厭わなくなり、3回目には大々的に不正をするだろう――。

 結果はまさに予測通りだった。被験者には一連の問題を解く課題が与えられ、初回は正解1問につき25セントが得られるとした。ここでは被験者の50%が不正を働いた。そして3回目には正解ごとに2ドル50セントが与えられ、不正をした被験者は60%に上った。一方、対照群の実験では、最初の2回は不正ができない設定にした。すると3回目に1問2ドル50セントを狙って不正を働いた被験者の割合は、実験群よりもはるかに低く、約30%にとどまったのだ。