日本人初、民間航空機のパイロットから宇宙飛行士に選抜されて話題を呼んだ大西卓哉氏。宇宙に憧れ続けた少年は夢を叶えて、宇宙への切符を手に入れた。2016年には国際宇宙ステーション(ISS)での長期滞在が予定されている大西氏が、宇宙飛行士に選抜された時の想いや、初フライトに向けた意気込みを語る。インタビューは前後編の全2回。
『スター・ウォーズ』と『アポロ13』への憧れ
――大西さんは民間機のパイロットから宇宙飛行士に転身されました。ます、宇宙に関心を持たれたきっかけを教えてください。
大西卓哉(以下略) もともとのきっかけは、小学生のときです。映画『スター・ウォーズ』を観て、宇宙というものに興味を持ったところから始まりました。ただ、最初は宇宙飛行士になろうなんて考えてもいませんでした。宇宙をきっかけに純粋に科学全般への関心が広がり、興味を持っていろいろな図鑑を買ってもらったり、自分で調べたりという、どこにでもいる科学少年だったと思います。
また大学1年のとき、これも映画に影響を受けていますが、『アポロ13』を観たことは大きかったです。映画の中でロケットの打ち上げシーンがあり、地上にいる人が涙を流しながらロケットを見送るのですが、多くの人の夢や希望を背負ってミッションに挑む宇宙飛行士の姿に感銘を受けました。家に帰るとすぐ、親に「宇宙飛行士になる」と宣言したのが、仕事としての宇宙飛行士を意識した最初だと思います。
私の場合、宇宙に対する子どもっぽい憧れが原点にあると思います。自分でもミーハーだと思いますが(笑)、それまで観てきたテレビや映画の影響を強く受けています。『2001年宇宙の旅』なんかも好きでしたよ。
――大学生のときには、宇宙飛行士を目指して行動されていましたか。
私が通っていた大学では、2年生の後半に進路が選べるようになっています。航空宇宙工学を勉強することを決めて、航空宇宙工学科に入りました。ただ、宇宙飛行士を現実的な目標としてとらえていたかというと、「なれたらいいな」くらいの憧れでした。
大学時代は鳥人間コンテストに出場するサークルに入っていました。そこでモノづくりの楽しさや、みんなが一つの目標に向かう喜びを知り、パイロットの世界に進むきっかけにはなりました。宇宙飛行士になるためにパイロットの道を選んだわけでありませんが、自分がラッキーだったなと思うのは、それが結果的に、宇宙飛行士候補者の選抜試験を受けるうえでとても役立ったことです。
振り返れば、パイロットになれたこと自体が幸運だったかもしれません。もともとは、そのまま大学院に進んで航空宇宙工学の勉強を続けるつもりでした。ただ、サークル活動の経験から「この世界に挑戦してみたい」という気持ちが強く、可能性の一つとしてパイロットの選抜試験にチャレンジしたんです。就職活動はパイロットだけです。もし落ちていたら、いま頃は研究者になっていたと思います。
――その後、全日本空輸(ANA)でパイロットになり、宇宙飛行士の道を選ばれるわけですが、本格的に宇宙飛行士になりたいなと思い始めたのはいつからでしょうか?
パイロットの仕事をしている間は、訓練で非常に忙しい毎日を送っていました。厳しい訓練を乗り越えてやっと副操縦士に認定されましたし、機長になるのは大きな目標でもありました。副操縦士から機長になるまでは約10年かかりますが、自分はその途中にいたので、宇宙飛行士を目指したいなという考えはありませんでした。
それがある日、仕事で泊まっていたホテルで新聞を開くと、10年ぶりにJAXA(宇宙航空研究開発機構)が選抜試験を実施するという記事が飛び込んできました。32歳のときです。精神的にも肉体的にも充実してきた時期に、自分にとってベストなタイミングで10年ぶりという機会が来たのは、何かの縁だと思ったんですね。受けるのならいましかないと思い、受験をすぐ決めました。
――宇宙飛行士を目指すことは、周囲の方に伝えましたか?
ごく一部ですね。選抜が進むと、上司にもしっかり言う必要がありますが、それまでは本当に仲のいい友人だけに伝えていました。同期や友人も何人か受験していたので。また、家族には伝えました。最初の書類選考のときに、家族からのコメントを書いて提出する決まりでしたから。父のコメントは「応援しています」程度で、本当に無難なコメントでした(笑)。
ただ、これは本当に結果論ですが、母親はすごいなと思いました。私が大学時代に宇宙飛行士になりたいと言っていたのを覚えていたんですね。「宇宙飛行士選抜試験を受ける」という話をすると、最初は「やめて」と言われました。「なんで?」と聞くと、「あなた、受かるから」と言われて。何が母親にそう言わせたのかわかりませんが、私以上に宇宙飛行士になると信じていました。
――「やめて」というのは、心配だからやめてほしかったということでしょうか?
やっぱり心配だったと思います。パイロットという仕事自体、一般的には危険な仕事というイメージがありますよね。そのときも心配していたようなので、さらにその先、ロケットに乗って宇宙に行くとなると、親としては純粋に心配する気持ちがあると思います。父親のほうは、心配というよりも、どんどん好きにやったらいいという反応でした。