広島市民は新年早々、びっくり仰天したのではないか。秋葉忠利市長が1月4日の仕事始め式で、今期限りでの退任を表明した。今年4月の市長選に出馬し、4選を目指すと誰もが思っていた。そのための五輪招致ではないかと憶測していた人も多く、秋葉市長の突然の不出馬表明に広島市内に激震が走った。「一体、なぜ?」そんな疑問の声があちらこちらであがった。
その後、驚きの波は全国各地に拡散した。秋葉市長が記者会見を拒否し、動画投稿サイト「ユーチューブ」に退任の弁を流したからだ。前代未聞の一人会見で、質問なし。秋葉市長は引退を決意した理由を「箱根駅伝をみているうちにタスキをつなぐことの大事さを感じた。目からうろこが落ちる思いがした。タスキを次の人に受け取ってもらうべきだという気がした」と、語った。そして、3期12年の成果を自画自賛し、動画から消えていった。
こんな一方的な退任表明に呆れ返った人も少なくないはずだ。しかし、広島市民の間では「いかにも秋葉市長らしい」と、冷静にみる向きが多い。細かな説明をせず、トップダウンで物事をすすめる人とわかっていたからだ。五輪招致の構想がその典型事例だった。
広島市が五輪構想を発表したのは、2009年10月のこと。東京都が2016年夏季五輪の招致に失敗した直後だった。秋葉市長の鶴の一声によるもので、当初は同じ被爆都市・長崎市との共同開催がぶち上げられた。広島・長崎の両市が主宰する「平和市長会議」(世界の4301都市が加盟)は、2020年までの核廃絶を目標に掲げて平和推進活動を展開中だ。その目標年の2020年に「平和の祭典」である五輪を開催することで、核廃絶の機運を盛り上げたいとの構想だった。
しかし、五輪憲章が一都市開催を原則としていることから、2010年1月に長崎市が断念。広島市は方針転換し、2020年夏季五輪の単独開催を模索することになった。10年度予算に五輪招致検討費を計上し、基本計画案を策定した。