1989年、北京のあるコンピュータ会社に、大学を卒業したばかりの青年がアルバイトとして入った。青年はシンガポール留学を希望しており、留学ビザが下りるのを待っている間にすこしでも留学用の軍資金を作るためアルバイトをすることにしたのだ。

 この会社は知名度が低く、コンピュータ会社と言っても創立当初は自社製品を製造できず大手パソコンメーカーの代理販売を行うだけだった。しかし、それでも青年は懸命に働いた。その勤務態度とビジネスセンスが会社の人たちに広く評価された。数カ月間のアルバイト期間があっという間に過ぎ去り、待っていた留学ビザも無事に下りた。青年がアルバイトをやめて留学に行こうとした時、会社の幹部が青年に言った。

「留学もいい選択だが、この会社に残って私たちと一緒に働いてみないか。中国はきっと発展する。大きなチャンスがあると思う」

 優秀な青年が海外へ留学するという当時の社会的な流れの中で、会社の幹部はあえて時流に反する提案をした。青年は考えた末、会社に回答を出した。留学をやめてこの会社に正式に就職する決断に踏み切ったのだ。「出国熱」というブームに覆われていた当時の中国でこの決断を下すのがいかに苦しいものだったのか、その時代の人間でなければおそらく理解できないだろう。

 このコンピュータ会社に入社した青年は、会社の発展に大きく貢献し、わずか5年後の1994年にこの会社の社長となった。1989年、会社がグループ企業にまで成長し、その2年後の2001年に、青年は36歳の若さでこのグループ企業総裁兼CEOになった。

 ここまで書いてくると、その会社とはどこか、その青年は誰なのかと読者から聞かれると思う。