東大、早慶あたりの学生って、やっぱり何かが違うんですよ~

 「ん? どうしたの、突然」

 「いや、やっぱり東京の学生ってレベルが高いな、と思って」

 「そう? どの辺が?」

 「いや~、なんか発言とか、大学に入ってからしてきたこととか。自分はこれまでの大学生活でいったい何をしていたんだろうって思って…」

 この会話は去年の4月、当時3年生になったばかりの学生との間であったもの。

 彼女は何かのコンクールの機会に東京の学生と接する機会があり、えらく自信喪失をして北海道の小樽に戻ってきたところであった。これほど直接的な相談でなくとも、本学の学生が「東京の学生」という存在を複雑な気持ちで捉えていることは、さまざまな局面で垣間見える。これは、本学に限らず地方の学生にとって共通することであろう。

 そもそも学生に限らず、日本では地方対都市、もっと端的には地方対首都圏での対立軸でものごとが語られることが多い。そして、地方の人たち(学生を含む)は、本人が好むと好まざると、あるいは、意識しなくとも「東京はスゴイ」という色眼鏡をかけさせられている可能性が高い。

 「東大、早慶あたりの学生って、やっぱり何かが違うんですよ。彼らと伍していくにはどうしればいいですか? 何をすればいいですか?」

 何やら相当焦っている様子である。

 「まあまあ、待て待て。私も早稲田の出身だけど、あそこって1学年1万人も学生がいるんだよ。それこそピンからキリよ」

 「1万人もいるんですかっ?!」

 本学では1学年400名程度であり、大学院生まで合わせても2千数百人規模である。

 「東大や早慶というブランドが教えてくれるのは、『この人は大学に入ったときの偏差値は比較的高かった』ということだけじゃん。それ以上のことは何も教えてくれない。自分の中学や高校を思い出してみても、それこそヤンキーから東大受験生までが存在する高校もあったりするでしょ」

 「ああ、確かにそうですね」

 「社会に出ると、使えない高学歴者がたくさんいることが一発で分かるから、学歴に対しての必要以上の偏見ってなくなるんだけど、確かに学生だとそういうのが見えないから分かりにくいかもね」

 「そうですね~。でも、1万人…ですかぁ(ため息)」