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心の奥で、本当にかすかでも、 くやしい、逆転したい、いまに見ていろ、 という気持ちを持っている人たちへ

心の奥で、本当にかすかでも、
くやしい、逆転したい、いまに見ていろ、
という気持ちを持っている人たちへ

著者・コラム紹介

大手不動産会社を退職し27歳で起業、30歳で横浜ランドマークタワーに本社を構えた横濱コーポレーション代表取締役・菅沼勇基氏が、初の著書『私が偏差値27から年商10億円の社長になれた理由』を上梓した。かつては「夢も希望も持てない劣等生だった」という菅沼氏は、どのように一念発起し、自らを磨いてきたのか。高みを目指す方法、そして不動産経営のサポートを通じて社会と地域を支え、仲間とともにビジネスを成長させていく思いを聞いた。

 中学生のころの私は、おそらくいま記事をお読みいただいているほとんどの方より、不出来で、夢も希望もない自暴自棄な子どもだったはずです。何せ偏差値27という、狙って出そうと思ってもなかなか取れない数字を叩き出した過去があるくらいです。

偏差値27! 学力も夢もない劣等生が
一念発起できた理由とは?

菅沼勇基(すがぬま・ゆうき)
横濱コーポレーション(株) 代表取締役

1985年、横浜市生まれ。横浜市立大学国際総合科学部卒業後、住友不動産(株)に入社し、オフィスビルの開発・運営業務、新事業の開発業務に携わる。3年後独立し、横濱コーポレーション(株)を設立。偏差値27からの成長経験を活かし、未経験でも夢を持ったやる気のある若手を多く採用し企業規模を拡大し続け注目を浴びる。

 劣等生として地べたを這ってきた私が、どうにかここまで進んでこられたこと、そしてビジネスを成長させ続けられている理由は、劣等生ならではの思いと経験があるからです。

 横浜の北部に古くから続く農家兼貸家業の家に末っ子として生まれ、甘やかされて育った私は、厳しくしつけたいという母の意向で遠く離れた全寮制の中高一貫校に入れられました。ガキ大将だった私はまったく適応できず、勉強はおろか、得意な野球もサボり、友達もほとんどできないまま、毎日を過ごしました。

 当時取った最低偏差値が27でした。白紙答案を出したわけではなく、当時の私なりにまじめに答えを書き入れた結果です。でも、自分はしょせんその程度だと諦めていたのです。

 初めて屈辱を味わったのは、野球の対外試合で44対0という屈辱的な敗戦を喫したことでした。学校の歴史が浅く、私自身もまともに練習していないため当然の結果ではありましたが、自分だけがいつまでも我を張っていても、9人で力を合わせる野球ではどうにもなりません。ここで初めて私は気持ちを改め、チームの力をまとめて結果に結びつけていく貴重な経験をすることになります。その後、半年ほどで、同じ学校相手に好勝負を演じられるまでにチームを成長させることができました。私にとって初めて手にした成果でした。

就活完全勝利、大手企業を辞して起業し
横浜ランドマークタワーに登るまで

 でも、学業は相変わらず劣等生のままでした。ブランクが長すぎ、一体全体どう勉強していいかがわからなかったのです。ところが、野球がきっかけで初めて夢を持ちました。大けがをし、野球をやめなければならない瀬戸際を医師によって救われたことで、自らも医学へのあこがれを抱いたのです。そんなさなか、学校で医師の息子に私の劣等生ぶりを公然と侮辱される「事件」が起こり、私は一念発起したのです。

 医師になって、患者の生命と患者の持つ可能性を救う。そのために自らを磨く。生まれて初めて学ぶ目的を持った私が始めたのは、ABCの書き方が書かれた参考書から再び学び直すことでした。夢ができれば、目標もすべきことも自ずと見えてきます。あとは負荷をかけ、時間を区切って進めるだけ。夢さえあれば、成績は順調に伸びていくものです。

 いっぽう「悲劇」もありました。理科の授業で体験したカエルの解剖を、私は正視できませんでした。医師にはまったく不適格だったのです。そこで私はひらめきました。医師になれないなら、すばらしい医師が存分に働ける場を作る経営者になればいい。そこで私は志望を医学から経営学にスイッチし、諦めずに勉強を続けることができました。

 見事に「更生」こそしたものの大学受験では志望校に届かず、再び自暴自棄になりかけた私を救ったのは、仙台へのいわゆる「ママチャリ」での旅行でした。無謀でバカバカしい出来事ですが、目標があれば計画を定められ、達成すると癖になるという大切な原則を学び、吸収する力がどんどん伸びていきました。受験とは打って変わって就職活動は完全勝利。いつか病院を経営するという自らの夢のために、金融関連、それも実家のビジネスにも関わりの深い不動産業の世界に飛び込みました。

 住友不動産で経験を積みながら、不動産賃貸経営に対する思いが募っていきました。27歳で起業し、横浜市民のあこがれとして会社設立以来ずっと目標にしてきた横浜ランドマークタワーに、30歳、史上最年少の経営者として入居することができました。

不動産賃貸ビジネスを通じて
社会を変革していく志士でありたい

 本書に、恥を厭わず私の経験を詳らかに記したのには、実は3つの理由があります。

 第一に、高い志と能力を持ったオーナー様、お取引先様とのおつきあいを通じ、不動産ビジネスによって世の中を支えること。たとえばかつて私の怪我を救ってくださった医師が金銭面の心配なく思う存分活動できるよう、医師になれなかった私は、自分の得意な仕事を通じてサポートしたいのです。反対にただ高収益を狙うだけのオーナー様に割ける時間はありません。社会を良くしていく集いの場としての不動産業こそ、私の使命です。

 第二に、かつての私のように、やる気を失い、自ら諦めている若い人たちに、具体的な道を示すことです。ただ頑張れというだけではありません。本書には、夢に基づき、目標と計画、時間の使い方へとどのようにブレークダウンし、しかもどう持続・検証していくかについて、私の考えをひと通り述べました。就活全勝の実践的なテクニックも満載です。元劣等生、元偏差値27の私が書くことにこそ、大きな意味があると自負しています。

 そして最後に、私の考えるいまのビジネスへの思いに共感してくれる仲間への発信、呼びかけです。大手企業で自らを抑え鬱屈としている人、理想と現実の違いに苦しむ人、同じ不動産業界で思いを形にできないまま力を燻らせている人に、私たちの仲間になってほしいという思いがあります。ただのビジネスとして数字だけを追いかけていくのではなく、高みを目指しながら、数字や実績に意味や意義も乗せていく。そんな理想に燃えている人と出会いたくて、私の心の中を思い切って開示することにしました。

 私自身31歳、まだまだこれからです。いつか病院を経営し医学を支えたいという夢を持ちつつ、もっと広い意味で社会を変革していくために、各界で活躍するエキスパートたちを不動産という旗のもとにまとめていく志士でありたいと思いながら日々働いています。本書が多くの方々との出会いのきっかけになれば本当に嬉しいことです。


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