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マレーシア大富豪の教え
【第10回】 2017年6月3日
著者・コラム紹介バックナンバー
小西史彦

成功し続ける人は、
「損得」ではなく「○○」を判断基準にしている
マレーシア大富豪の教え

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いまメディアで話題の「マレーシア大富豪」をご存じだろうか? お名前は小西史彦さん。24歳のときに、無一文で日本を飛び出し、一代で、上場企業を含む約50社の一大企業グループを築き上げた人物。マレーシア国王から民間人として最高位の称号「タンスリ」を授けられた、国民的VIPである。このたび、小西さんがこれまでの人生で培ってきた「最強の人生訓」をまとめた書籍『マレーシア大富豪の教え』が刊行された。本連載では、「お金」「仕事」「信頼」「交渉」「人脈」「幸運」など、100%実話に基づく「最強の人生訓」の一部をご紹介する。

人生には「戦うべきとき」がある

 人生は闘争でもあります。
 生きていくうえでは、戦うべきときというものがあります。しかるべきときに戦わなければ、自らが望む人生を生きることはできません。私はマレーシアでは“Fighter”と言われることもあります。それだけ、戦ってきたということです。ただし、むやみに戦ってきたわけではありません。戦うべきか否か……。それを見極める判断力も、生きていくうえでは非常に大切です。

 では、戦うべきか否かどう判断するのか? 
 そのお話をする前に、若いころの話をしましょう。
 あれは、シンガポールの商社で染料の営業をしていたころの話です。

 当時、私は1ヶ月に約5000kmを走って、マレーシア全土のすべての繊維工場を月に2回訪問。どんなに田舎の小さい工場であっても、欠かさず営業に回りました。そして、移動距離に比例して売上は増加。苦戦していた華僑が経営する大手工場も、リベートについて教えてもらってからは一気にシェアを高めることに成功しました。

 ところが、これを快く思わない人々がいました。欧米系の染料メーカーの駐在員たちです。当時は、ドイツ、イギリス、アメリカなどの超巨大化学メーカーがマレーシアの染料マーケットの大半を占めていました。私が営業を始めたころは、彼らも気にもとめていなかったと思いますが、だんだん無視していられないくらいシェアを侵食(しんしょく)していたのでしょう。ある日、ドイツ人駐在員から、「今度、業界の集まりがあって、みんなでお酒を飲むから遊びにこないか?」と声をかけられて喜んででかけていくと、思いも寄らない仕打ちにあったのです。

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    小西史彦

    小西史彦(こにし・ふみひこ)
    1944年生まれ。1966年東京薬科大学卒業。日米会話学院で英会話を学ぶ。1968年、明治百年を記念する国家事業である「青年の船」に乗りアジア各国を回り、マレーシアへの移住を決意。1年間のマラヤ大学交換留学を経て、華僑が経営するシンガポールの商社に就職。1973年、マレーシアのペナン島で、たったひとりで商社を起業(現テクスケム・リソーセズ)。その後、さまざまな事業を成功に導き、1993年にはマレーシア証券取引所に上場。製造業や商社、飲食業など約50社を傘下に置く国民的企業グループに育て上げ、アジア有数の大富豪となる。2007年、マレーシアの経済発展に貢献したとして同国国王から、民間人では最高位の貴族の称号「タンスリ」を授与。現在は、テクスケム・リソーセズ会長。既存事業の経営はほぼすべて社長に任せ、自身は新規事業の立ち上げに采配を振るっている。

     


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