昭和の始め、歌舞伎町は閑静な住宅地だった。第二次大戦後、地元の有力者だった鈴木喜兵衛は、焼け野原となったこの街に一大アミューズメントタウンの建設を夢見る。コンセプトは、「家族で楽しめる健全な娯楽文化の提供」。構想の目玉とされた歌舞伎上演劇場の誘致にちなみ、街の名も「歌舞伎町」と改めた。
しかし、戦後の混乱の中で事業は頓挫する。代わって歌舞伎町に流れ込んできたのが、ヤミ市や特飲街(いわゆる赤線)を締め出された飲食店、風俗店だった。その後は、風俗産業の自己肥大へと突き進む。ひとたび理念が崩れた後は、とんでもない方向に暴走してしまったのだ。
理念が崩れて暴走する歌舞伎町
悪質犯罪の多発にくれぐれもご用心
新宿区の安心・安全と言えば、まず犯罪に触れねばなるまい。犯罪発生数(刑法犯認知件数)3位。この数字以上に注意しなければならないのが、その中身だ。凶悪犯の発生数1位、粗暴犯も知能犯も風俗犯も1位。しかも、そのいずれもが2位以下を大きく引き離している。
自転車泥棒が大部分を占める乗物盗を除いた狭義の非侵入窃盗(ひったくり、スリ、万引きなど)の発生数も、新宿区が一番多い。暴力団犯罪の検挙・送致件数も1位。暴力団による覚醒剤犯罪の検挙数は、23区の6分の1を占める。悪質犯罪の多発地と言わざるを得ないデータの数々である。
面積当たりの交通事故発生件数は4位と、交通事故のリスクも高い。火事も多い。面積当たりの火災発生件数は2位、建物火災に限ると1位となる。不燃化率6位の新宿区だが、区の東部を中心に、木造住宅密集地や細街路が入り組んだ火災危険エリアが存在する。
繁華街では、雑居ビル火災にも注意が必要だ。2001年9月、44名の尊い命を奪った歌舞伎町雑居ビル火災の惨事は、いまだ記憶に新しい。