なぜ、なにも決まらないのか?
同じような「超重要プロジェクト」の検討会議が、今日も日本中で行なわれていることでしょう。日本のスタッフは有能でよく働くので、情報はいくらでも集まります。完璧に分析された調査レポートができあがります。しかし、なにも決まりません。
十分すぎる情報があるのになぜなにも決まらないのでしょう?
理由は、「誰も考えていないから」です。みんな「情報を集めて分析する」作業に熱中しています。しかし意思決定のためには、「どうやって結論を出すべきなのか」を先に考えることが必要なのに、そのための思考を怠っているのです。
プロジェクトリーダーの企画室長が指揮をとったのは、「各部門への調査作業の割り振り」にすぎません。各メンバーはそれに応じて情報を収集し、分析し、レポートにまとめ上げました。
しかし、技術や米国の情報、法務や財務の分析、顧客に関する情報がばらばらと集まっても意思決定はできません。必要なのは、「どの情報がどうであれば、我が社はこのビジネスに進出する。どの情報がどうであれば、進出すべきではない」という意思決定のための思考プロセスなのに、それが存在していないからです。
情報ではなく「意思決定のプロセス」が必要
私たちがなにかを決めるときには「情報」とは別に「意思決定のプロセス」が必要です。
たとえば、ある洋服を買おうと思ったけれど価格を見て買うのをやめたとしましょう。その意思決定ができるのは、「その洋服の価格」という情報を集めたからではなく、「この質、このタイプの服に関しては、1万円以下でないと私は買わない!」という意思決定プロセスを自分の中にもっているからです。
この思考プロセスに“洋服の値段”という情報を放り込み、「コレは買う、アレは買わない」と決めているのです。
意思決定のプロセスをもたないまま、どれほど多くの洋服の価格情報を集めても、特定の洋服を買うべきか買うべきでないか、決められません。
先ほどの社長直轄プロジェクトも同じです。彼らは情報ばかり集めていて、「どういう情報があれば、どんな結論を出すべきなのか?」という意思決定プロセスについてなにも考えてきませんでした。だから情報が集まってもなにひとつ決まらないのです。