いま、「美術史」に注目が集まっている――。社会がグローバル化する中、世界のエリートたちが当然のように身につけている教養に、ようやく日本でも目が向き始めたのだ。10月5日に発売されたばかりの新刊『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』においても、グローバルに活躍する企業ユニ・チャーム株式会社の社長高原豪久氏が「美術史を知らずして、世界とは戦えない」とコメントを寄せている。そこで本書の著者・木村泰司氏に、知っておきたい「美術」に関する教養を教えてもらう。今回は、だれもが知る画家「ゴッホ」の生涯を簡単に振り返ります。

浮世絵に魅せられたゴッホ

 東京都美術館で開催しているゴッホ展が話題となっています。今回は、その主役であるフィンセント・ファン・ゴッホ(1853~90年)について簡単にご紹介していきましょう。

 オランダで生まれたゴッホは、もともと牧師になること夢見ていました。しかし、その夢を早々に諦めます。そして、伝導を通じてではなく、自分の作品を通じて人々の心に慰めと安らぎを与えることこそが使命であると決意し、画家の道を歩むことになります。

 画家として色彩に興味を持ち始めていたゴッホは、バロック絵画の巨匠ルーベンスへの強烈な渇望が沸きあがってきた結果、実家を飛び出し、ルーベンスの街であるアントウェルペンに移り住むことになります。

 そのアントウェルペンでゴッホは、自分の色調の暗さを痛感します。豊麗な色彩を誇るバロックのカトリック美術と、遙か異国から来た浮世絵による洗礼によって色彩に開眼し、画家として装飾的で力強い色彩表現へと導かれていったのでした。これが彼の大胆な色彩表現の原点になったと言えます。

 しかし、アントウェルペンの滞在はわずか三ヵ月に終わります。いつものように思い立ったら躁状態になり、すぐに行動に起こさないと気が済まなかったゴッホは、突如弟のテオが暮すパリへと向かったのです。

パリでゴッホが描いた「タンギー爺さん」(1887年)。その背景には浮世絵が並ぶ。

 パリに到着したゴッホは、一年ほどの間に350点ほどの浮世絵を収集しました。彼の浮世絵に対する強い傾倒ぶりは、「タンギー爺さん」の背景に描かれた6点の浮世絵からもよく分かります。また、歌川広重の「江戸名所百景」から「大あしはたけの夕立」や「亀戸梅屋敷」を模写しています。結果、ゴッホのパレットは印象派や浮世絵の影響を受けてより明るさを増していきました。